「National Museum」の歴史ギャラリーを見ての感想、まとめておこうと思います。

ご興味ない方、スルーくださいね。

 

歴史を学んだのは遠い昔の話で、私の中でシンガポールと日本の歴史的関係についてほとんど知識がない状態で移り住んできました。なので、今回、歴史ギャラリーをみて、初めて、シンガポールが3年半、日本の軍政下にあったことを始めて知ったわけです。
 
歴史ギャラリーでもかなり多くその時のことを伝えるものが展示されており、衝撃でした。
この4カ月、日本人だからといって、ひどい扱いをされたり、迫害感を感じることは全くありません。みなとてもフレンドリーで優しいので、そんな歴史があったこと微塵にも感じません。
 
でも、日本人として、この国に住まわせてもらっている立場として、過去、日本人がシンガポール人に対してどんなことをしたのか、どれだけ辛いことを強要したかは知っておくべきですし、難しいことですが、子ども達にもかみ砕いで伝えておこうと思いました。もしかしたら、接している方のご両親、祖父母の方が、日本軍が実施した虐殺の被害にあっているかもしれません。そういう歴史を知った上で、この国で生活をする必要があると私は思います。
 
ナショナルミュージアムの歴史ギャラリーには日本軍が攻めてきた時のリアルな映像やその後の「昭南島」時代の様子を、かなりのエリアを使って伝えていました。それだけシンガポールにとって日本軍の占領は大きな意味のあることだと感じました。
 
歴史について、その後図書館でも少し調べたので記載しておきます。

ラッフルズが上陸してから長く続いていたイギリス植民地としてのシンガポール。

そこに日本軍が人口増加と食料・資源不足から東南アジアに資源を求め侵攻を開始し、物資の中継・加工地として魅力があったシンガポールに攻め入った。イギリス軍は寄せ集めの軍隊であったため、あっけなく敗退し、日本軍が勝利。1942年2月から1945年8月まで、シンガポールは日本軍政期となり「昭南島」と呼ばれた。

1895年ごろから抗日運動を積極的にしていた中国系を冷遇し、シンガポール華僑・華人の中の「抗日分子」を摘発しようと、6000人とも4万人ともいわれる大虐殺を行ったといわれている。「粛清」と称されたこの虐殺を今でも覚えている高齢のシンガポール人は多い。

学校教育では、日本語教育が強行され、伊勢神宮を模して造られた「昭南神社」にはイスラム教徒までも参拝させられたという。シンガポールの初代首相となったリークアンユーは、彼自身が「静粛」を辛くも逃れた日のことを強く胸に刻み、自分たちの国家を樹立しようという決心に繋がったと語っている。 参考:シンガポールを知るための65章 田村慶子編著

 

 

子どもにとって、海外から見た日本を体験できることってとっても貴重。

日本の中にいては絶対に気づけないことたくさんありますよね。

もう少し理解できるようになったら、歴史ギャラリー再訪してみようと思います。