「National Museum」の歴史ギャラリーを見ての感想、まとめておこうと思います。
ご興味ない方、スルーくださいね。
ラッフルズが上陸してから長く続いていたイギリス植民地としてのシンガポール。
そこに日本軍が人口増加と食料・資源不足から東南アジアに資源を求め侵攻を開始し、物資の中継・加工地として魅力があったシンガポールに攻め入った。イギリス軍は寄せ集めの軍隊であったため、あっけなく敗退し、日本軍が勝利。1942年2月から1945年8月まで、シンガポールは日本軍政期となり「昭南島」と呼ばれた。
1895年ごろから抗日運動を積極的にしていた中国系を冷遇し、シンガポール華僑・華人の中の「抗日分子」を摘発しようと、6000人とも4万人ともいわれる大虐殺を行ったといわれている。「粛清」と称されたこの虐殺を今でも覚えている高齢のシンガポール人は多い。
学校教育では、日本語教育が強行され、伊勢神宮を模して造られた「昭南神社」にはイスラム教徒までも参拝させられたという。シンガポールの初代首相となったリークアンユーは、彼自身が「静粛」を辛くも逃れた日のことを強く胸に刻み、自分たちの国家を樹立しようという決心に繋がったと語っている。 参考:シンガポールを知るための65章 田村慶子編著
子どもにとって、海外から見た日本を体験できることってとっても貴重。
日本の中にいては絶対に気づけないことたくさんありますよね。
もう少し理解できるようになったら、歴史ギャラリー再訪してみようと思います。