母のことを残しておきたくて | 生きづらさを解消!人とお金と幸運にモテモテになる ばんちゃんの人生は変えられる(名古屋・東京・大阪カウンセリング)

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幸福力UPセラピスト ばんちゃんのブログです
(セラピスト養成講座 心塾塾長)

幸せを探求し伝染することで、
「人生が全く変わった」という体験を創造します。

心理学・コーチング・NLP・スピリチュアル
催眠療法・心理療法・ヒーリング・セミナー・講座

昨日、3月3日3時9分 79歳の母が亡くなった。

3日間のセミナー、RTM RL(19)の最終日である。

ホスビスの退去や葬儀や遺品整理について
妹と話しながら判断しながら、実働を妹にやってもらっている。
お母さんの友達や義理の弟も手伝ってくれている。
妻も喪服や数珠などの準備をしてくれている。

私が仕事中なので、ありがたい。

ーーー

私の気持ちとしては
まだ遺体にも会っておらず、実感はない。

私は
RLコースの参加者やアシスタント(サポーター)の人たちに、
人生の転機となる体験を提供すること。

母のことも含めて
淡々と今やるべきことに専念していた。

おかげで寂しさを紛らわすことができたいのかもしれない。

ーーー

母のことを書いておこうと思う。

母は私のことが大好きだった。
私のことを良く褒めてくれた。
学校の成績が悪い時も、やればできるのにと信じてくれた。
できない部分よりもできる部分を見て、褒めてくれた。
恥ずかしくなるぐらい、周りの人に私のことを自慢していた。
ピアノの送り迎えをしてくれた。
少年野球の送り迎えをしてくれた。
誕生日は手作りのケーキを作ってくれた。
とても綺麗な母で授業参観に来てくれるのが自慢だった。

遺品整理をしていると、小さい頃の絵がとってあった。
父が事業がうまくいかなかった時は、保険のセールスレディーで生計を賄った。
大学の授業料が足りない時は、親戚に頭を下げて借金をしてくれた。
無駄遣いをするな!が口癖だった。
500円玉貯金が家に1000枚くらいあった。
体調が悪くなる直前まで働いていた。

ーーー

母は子供に迷惑をかけずに生きていた。
私は名古屋、妹は大阪、母は横浜で一人暮らしをしていた。

頑張り屋さんだった。
弱音を吐いたことはなかった。
何でも自分でなんとかしようとする人だった。
助けてほしいを言わない人だった。
本音を言わない人だった。
いつも明るく元気で前向きだった。

母は、赤ちゃんの時に
戦争で両親を亡くした人だった。
戦死したお父さんの実家でその兄弟たちに
育てられた人だった。

幼少期たくさん惨めな思いをして我慢していたからこそ
自分の力で人生を切り開こうという意識が高い人だった。

幼少期の愚痴は一切言わなかった。

母は晩年、山奥の一軒家で
土いじりをしながら、近所の人を集めて
健康的な食事を振る舞いながら
自然とともに気持ちよく暮らすという夢があったが
それは結局叶わなかあった。

それを母は残念に思っていた。

ーーー

末期の時に母にありがとうを伝えた。
おかげで幸せだったよと伝えた。
母は黙って聞いていたが
お母さんはとても綺麗でずっと自慢だったよ。
と伝えた時だけは、微笑んでいた。

病室に寝ていた時も
ベレー帽やスカーフやサングラスをして
綺麗にしている母だった。








病気で痩せて弱っていく自分を
人に見せるのを嫌がっていた。

母から
ありがとうおかげで幸せだったよ。
という言葉は聞けなかった。

ーーー

母は不満が多い人だった。
頻繁にイライラしていた。
店員の方にも要望が多い人だった。

もっとこうすればいいのに
どうしてこうしないんだろうねぇ

が口癖の人だった。

自分にも人にも厳しい人だった。

晩年は母はそうゆう人だから仕方がない
と受け入れていたが

僕はそれを聞くのが嫌だった。

ーーー

母は健康的な食事をとっていた人だったので
その不満が多いことが
癌になった原因なのではないかと
僕は思っている。

自分も人も許し受け入れる心を育てたいと
より一層感じる出来事だった。

そして
命には限りがある。

私は晩年
いい人生だった。
ありがとう。

と感じながら伝えながら死にたいと思った。

そしてそう言えるような生き方をするためには

自分らしく生き
周りと調和しながら
自他ともに幸せを増やす生き方をしたいと思う。

そして毎日を今を大事に生きていきたい。

ーーー

お母さん
僕を生んで育ててくれてありがとう。
おかげで今幸せです。

ーーー

母の最後に何か残しておきたいと思い
書いてみました。








きっと母が僕の記憶から消えていくことが
寂しかったので残したかったんだと思います。

お読みいただきありがとうございます。

   20240304 阪東朝康