2年ほど前からラジオを聴きながら寝るのが習慣になりました。年とともに夜中に目が覚めることが多くなり、トイレに行ったりした後寝つけなくなることも多々あります。眠れないときは布団の中で2、3時間悶々としているなんてことも。
そんなとき、本を読む気にはなれません。読むためにつけた明かりのせいでますます目が冴え、脳が覚醒するような気がするからです。その意味では、スマホをいじるなんぞとんでもない!
その点、ラジオは神経にとっても優しいアイテムなんですよね。一旦眠れなくなると、寝よう、寝ようと思うあまり、かえって目が冴えてしまうという悪循環に陥りがち。それがラジオだと、ボリュームを低くして、聴くともなしにただ聴いているというのがうまく眠りに入っていくのにいいんです。

聴き流すという姿勢のいいところは、つけっぱなしにしていることで自分が知らなかった人や話題について知ることができたり、興味をそそられることがあるということ。そんな人の一人が頭木弘樹さんです。
NHKの「ラジオ深夜便」で月に一度「絶望名言」というコーナーに出演しています。私が聴いたのは時間が短い「税望名言ミニ」(もう終了してしまいました)だったのですが、まず「絶望名言」という言葉に興味を持ちましたね。
「希望名言」ではなく、「絶望名言」。パッと頭に浮かんだのは太宰治です。ああいう根暗な(太宰は中学生時代にハマった人です。ハマりすぎてこのままでは自殺すると思い、読むのをやめた、私にとってアブナイ男です)文学者や芸術家の言葉を紹介するコーナーなのかな、おもしろそうだなと思いました。
思った通り、この番組は古今東西の文豪たちの名言を紹介するものだったのですが、暗い話ではなく、反対に力づけられるというか、何とも不思議な番組でした。それは頭木さんの話しぶりに負うところが大きいと思います。
どちらかというと朴訥とした感じなのですが、たとえがわかりやすく、ユーモアもあって、言っていることがすんなり頭に入ってきます。中学校で人気のあった国語の先生を思い出しました。

そんなわけで頭木さんに俄然興味を持ち、「絶望読書」などの本を買っちゃいました。
そして本家(?)の「絶望名言」も聴きたいと思ったのですが、放送が午前4時という時間帯のためリアルタイムではなかなか難しく聴けていなかったのですが、今の時代、ほんとに便利になったもので、「聞き逃し」というのがあるんですね。
これを活用しない手はない。折しも24日は『ペスト』のアルベール・カミュでした。カミュの本はどれも全く読んだことはなかったのですが、世界的に新型コロナウイルスが猛威を振るっている今、『ペスト』が売れているそうで、その関係の記事などでカミュがどんな人だったのかは何となくわかり、どうして学生のときに読まずに通りすぎたのか、今にして悔やまれるというほどの存在になっていました。

そんなカミュを頭木さんが語るとなれば、聴かないわけにはいきません。やっと聴き逃しで聴き、改めてカミュってすごい人だったんだなあと思いましたね。どんな内容だったかは聞き逃しで聴いていただくとして・・・不条理の世界を描きながら不条理を許さなかったというカミュ。番組の最後で流れたカミュの名言がこちら。

「我々は恐らくこの世界が子供たちの苦しめられる世界であることを妨げることはできません。しかし、苦しめられる子供の数を減らすことはできます」

ある講演で語った言葉だそうなのですが、最も弱い存在である子供に目を向けるところがさすがはカミュです。そして、「子供たち」を「保護犬・保護猫」に置き換えることもできるなあ、とも思いました。
保護活動について、いくらがんばっても保護犬・保護猫はなくならないという人がいます。私もそう考えていた一人です。だからやっても意味がないと・・・。確かに保護犬・保護猫をなくすことはできないかもしれません。でも、減らすことはできるんじゃないか、そもそも自分に何かできると思うこと自体がおごりなのかも? カミュの「絶望名言」を聴いて思ったことでした。

(by chikanosuke)