ラジオたかおかで2015年8月より毎週火曜日朝8時放送のラジオde法話 明覚寺住職林要昭さんのお話の原稿をご紹介していきます





第ニ話ラジオde法話2015年9月放送

 

おはようございます。

 

今月の火曜日は、浄土真宗本願寺派、高岡教区、明覺寺住職、林要昭が担当します。

 

さて、この時間にラジオ法話をお聞きの方は何歳ぐらいの方なのでしょうか。

 

あまり、お若い方はおられないのではないでしょうか。

 

テレビやコンピュータやスマホの時代に、あえてラジオに親しむ人は、仕事場で一人でコツコツ作業をしておられる方、ゆったりとラジオを楽しむ心の余裕があって、テレビのきらいな方だと思われます。

 

もし若いリスナーの方がおられたら、その方は、恐らく、人生に悩みを感じられ、何か生き方のヒントがないかという思いでお聞きくださっておられるのかもしれませんね。

 

ラジオのほうが、想像力が必要ですから、もっと深く考えられますからね。

 

このようにリスナーの方々は年齢もお立場も様々でしょう。

 

しかし、人間以外の方が、このラジオ放送を聞いているということはないでしょう。

 

仮にペットが、あなたと一緒にラジオを聞いていても理解することはできませんね。

 

さて、仏教では、素晴らしい偶然と、気の遠くなる時間をかけて、善い行いを蓄積したおかげで、ようやく人間に生まれることが出来ると考えています。

 

しかも人間に生まれた目的は、ひとえに仏教を聞くことだと、はっきり定義しています。

 

この定義がはっきり出ているのが三帰依文です。

 

三帰依文は次の通りです。

 

皆さんも、お寺の法座でお聞きになったことがあるかもしれませんね。 

 

「人身受け難し、今既に受く、仏法聞き難し、今既に聞く、この身、今生に向かって度せずんば、さらにいずれの生に向かってか、この身を度せん。大衆もろともに至心に三宝に帰依したてまつるべし」 

 

「自ら佛に帰依し奉る、まさに願わくは衆生と共に大道を体解して、無上意を起こさん。」

 

「自ら法に帰依し奉る、まさに願わくは衆生と共に深く経蔵に入りて、智慧海のごとくならん。」 

 

「自ら僧に帰依し奉る、まさに願わくは衆生と共に大衆を統理して一切無碍ならん。」

 

 「無上甚深微妙の法は百干万劫にも、もう遇うこと難し、われ今、見聞し受持することを得たり、願わくは如来の真実義を解したてまつらん。」

 

これは、仏教各宗派がお説教の前に唱える決まり文句です。

 

人間に生まれたことの偶然と、仏法を聞き、理解し、悟りを開くチャンスを、今度こそ決して逃すまいという願いを、高らかにうたったものです。

 

現代のように、 自己中心の考え方が蔓延し、物質的な豊かさと、他人との比較ばかり、勝ち負けばかりに心を奪われる時代の中にどっぷりと浸かっていますと、なかなか、高い価値観に触れてみたいという心の余裕は生まれません。

 

今、私たちのまわりで、一番高い価値観は何だろう、と考えてみると、それは、ひよっとしてお金かもしれませんね。

 

お金は、一定の約束の下で強力な力を発揮しますが、それ自体はただの紙切れですよね。

 

一億円と言っても、なかなか想像できませんが、一万円札を重ねると、ちょうど1メートルの紙の束です。

 

たかが紙切れ、されど紙切れです。

 

この紙切れのために、人は泥棒もしますし、詐欺もしますし、殺人も犯します。

 

この紙切れが、人間のあくなき欲望を吸収して、実際以上に大きな価値を担うようになっているので、お金こそが一番高い価値観だと、思ってしまうわけです。

 

信じるか、信じないかですから、ある意味、お金は宗教に似ているのかもしれませんね。

 

この宗教を名づければ、拝金教というわけです。

 

お金は使わなければなんの力もないただの紙切れですが、信じている人の間で使えば無限の力を発揮します。

 

お金が一番だと、はっきり思っている人はいないかもしれませんが、はっきりこれを否定することも難しいですね。

 

豊かな生活を持続しようとすれば、どうしてもお金がいります。

 

お金が自由にならないと、いかりはらだちそねみねたみうらみなやみがフツフツと湧いてきます。人の心も生き方もゆがみと、ひずみと、撓みで満たしてしまいます。

 

それでは自由になるとどうでしょうか。私はお金が自由になった経験がないので、わかりませんが、他人を思いやる心も、周りの人に分け与える心もどんどん失って、いくらお金があっても満足することのない、飽くなき渇きが身に染みて、取れなくなってしまうのではないかと恐ろしくなります。

 

むかしから、金持ち金を出さず、と言います。

 

だからお金がたまるんでしようね。

 

さて、仏教に戻りましょう。

 

仏教は大道を体解して、無上意を起こさん

 

すなわち、大きな価値観に軸足を移して、もっと人間として高い生き方を目指そう。

 

深く経蔵に入りて、智慧海のごとくならん。

 

すなわち、多くの人の意見を謙虚に聞き入れて、もっとしっかりした判断力を磨こう。

 

大衆を統理して一切無碍ならん。

 

すなわち、皆さんの幸せを共に考えて、もっと自由な生き方を目指そう。

 

と言っているのです。

 

しかも、全て、

願わくば衆生と共に、すなわち、 皆さんご一緒にと呼びかけているわけです。

 

拝金教がのさばる現代にあっては、これは、ただの理想、ただのたわごとに聞こえるかもしれません。

 

仏教は理想そのものが働き出て、人間に向かって至りくると説きます。

 

この働きを勝手に解釈して、変に力を蓄えて、周囲のものに多大な迷惑をかける、これが世の中の汚れる仕組みだと仏教は説いています。

 

みなさん、なんとなく金持ち中心の現代の様子と重なるような気がしませんか。

 

大切なことは、人が作るものでも、他人に押し付けるものでもないでしよう。

 

出口のない欲望の追及で、あくせく自分を苦しめ、周りを苦しめることに、あまり価値はありません。

 

命尽きるその日まで、強く明るく生き抜きましょう。

 

より大きな価値観に身をゆだねて、こだわりの追及から180度方向転換して、 自由闊達に与えられた命を楽しむことが、心の豊かさであってほしいものです。


https://ameblo.jp/happy543world/entry-12756787404.html


http://www.radiotakaoka.co.jp/



85枚の原稿用紙をPDFに落とし、Word変換する過程で 半角余白や文字化けしているのを直していますので、まだ誤字脱字等、あるかと思います


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