👆左上のサイマル放送をタップするとラジオが聴けます
今、見えている写真が林要昭さんです
ラジオ高岡で2015年8月から放送している「ラジオde法話」 という番組があります
今月、8月のお話によると4人で担当されているらしいです
ネット検索しましたが、高岡のどこのお寺の住職さんなのかわかりませんでした
検索して見つけたのがこちら👇YouTube配信もされてるようです
月曜・金曜日は、浄土真宗本願寺派(お西)北谷山速成就院専福寺住職 土岐慶正さん
火曜日は、私が紹介している明覺寺 林要昭さん
土岐慶正さん👇
8月放送の原稿と林要昭さんです👇
はじめに
専福寺23代住職
ラジオ放送は ご存知のように音です
どんなに良いお話であっても 聴き逃すと流れていってしまいます
過去の音は録音でもしてなければ 2度と聴けません、聴き逃してしまうのです
幸いな事に私の元に数枚の原稿がありました
A4用紙にみっしりと書かれた文章です
今回は過去の原稿がほしいとお願いし、無理を言って第一話から85枚の原稿を届けてもらいました
こうやってブログにする事で、地方の放送局の番組の内容を世界中にいる日本語が読める人に読んでもらえちゃうかもしれないって 凄くないですか?
では今日から 一話ずつ、ご紹介していきますね
第一話ラジオde法話 2015年8月放送
おはようございます。
今週の火曜日は、浄土真宗本願寺派、 高岡教区、明覺寺住職 、林要昭がお送りします。
お話の機会を与えて下さったラジオ高岡の担当の方には深く感謝いたします。
さて、最近 、多くの放送局で宗教のお話が聞ける機会が増えてきたように聞いています。
ということは、最近 、宗教の話を聞いてみたいという需要が増えてきたのかもしれませんね。
そうだとすれば、宗教関係者としましては、 誠にうれしいことです。
現代の私たちが、少しでも宗教を必要としているとすれば、それは心の豊かさを求めてのことでしょう。
現代の私たちは、豊かな物質文明の中で、いろいろな欲望を膨らませ、実現してきました。
お金が自由になれば、衣食住のすべてについて、ほぼ、何でも手に入ります。
新幹線も開通し、首都圏まで2時間ちょっとしか、かかりません。
それどころか、今、 高岡を出発して、 乗り物を乗り継げば、世界のすべての主要観光地に24時間以内にたどり着くことができるそうです。
しかし、よく考えてみると物質が豊かになって、便利さを喜べるのは、実は、不便さを知っている世代の人だけです。
何とか便利にならないかと、いろいろ工夫してきた人達だけが、今の便利さを感じられるのではないでしょうか。
北陸新幹線以降に生まれる世代の人に、昔は、東京まで6時間かかったんだよ、と言ってみたところで無意味なことです。
ですから、一昔前には、想像もつかなかった豊かな生活スタイルの中で、かえって浮き彫りにされるのが、心の貧しさかもしれませんね。
「ものなべて、豊かなる世にわれはなぜ、心は飢えて、かくも寂しき」
という歌があります。
物質文明の豊かさの中で、 際限なく膨張し続け、 行き場のない欲望を抱えてしまった現代人の心の悲しみを歌ったものだと聞きます。
物質文明の豊かさに行き詰ったら、これからは、 「ものなべて、豊かなる世にわれはなぜ、心は飢えて、かくも寂しき」をいやしてくれるものを探し求めなくてはなりませんね。
ラジオ放送に宗教の話が、増え始めたのは、実は、この兆候かもしれませんね。
人間は、今まで、いろいろ工夫し、 一生懸命努力し、より良い生き方を模索して、世のため人のために役立とうとしてきました。
それはそれで、十分価値のある生き方です。
正見 、正思惟、正語 、正業、正精進、正念、正命、正定というように、仏教は決して、それを否定していません。
しかし、 空、無我、無自性とか、色即是空と聞くと、まるで、それを否定しているように聞こえのも事実です。
しかし、否定はしてはいないのです。
ただ、仏教の場合、 目指す方向が180度違う、価値観のスケールが違う、と考えていただきたいのです。
とにかく違うのです。
いっしょうけんめい悩んだり、 考えたりして、より良い結論を出そうとする方向ではなくて、むしろ、悩まなくてもすむように、考えなくてもすむように、大きくて広くて深い価値観に、そのまま身をゆだねていく方向です。考える努力より、 考えない努力なのです。
追及するより、捨てる方なのです。
お金とか、地位とか、名誉とか、健康とか、友情とか、愛とか、信頼とか、その場、その場では、ちゃんと役に立ちますし、 追求するに値する立派な価値観です。
しかし、その方向に心の豊かさがあるかというと、どうも、そうでもありませんね。
それは、私たちそれぞれの人生体験から、十分感じて来たことです。
仏教的にいえば、人間の生み出した価値観は、所詮、利己的な、浅いこだわりにしか過ぎません。
これでは、自利利他からは程遠く、 自損損他の生き様を助長するばかりです。
自分を束縛する考えから離れ、 自由になって、むしろ考えないことを勧めるのが仏教だと考えていただきたいです。
仏教には、「モウコリタ」という言葉があります。
これは、失敗ばかり重ねて、モウコリタと言っているのかな、と聞こえるかもしれません。
漢字で書くとモウコは、未亡人のボウという漢字と白己のコという漢字でモウコです。
リタは自利利他のリタです。
人間の編み出した世界は、あくなき欲望の追及のためにボロボロになってきました。
資本主義にも、民主主義にもあちこちほころびが見えています。
あくなき欲望の追及の果てに出口がないことに気付いて、そろそろ懲りるべきですね。
わかっちやいるけど、やめられない・・・なかなかモウコリタとは言えません。
自分の生き様に懲りるのは、 至難の業です。
妙好人でもブロの宗教家でも、それは無理です。
実は無理なことはわかっているのです。
無理だという、その事実を明らかにしてくれる働きがお念仏の働きではないでしようか。
人間は自力の生き方しかしていませんし、それ以外の生き方はありません。
心の問題や、 生き方までもコントロールしようとして、ああでもない、こうでもないと欲張ることが、そもそも自力作善の生き様なのです。
気づきの世界は、大きくて、広くて、深い価値観です。
この価値観に身をゆだね、余計な心配の種は作らないことです。
出口のない欲望の追及で、あくせく自分を苦しめ、周りを苦しめることに、あまり価値はありません。
命尽きるその日まで、強く明るく生き抜きましょう。
こだわりの追及から180度方向転換して、 自由 闊達に与えられた命を楽しむことが、心の豊かさであってほしいものです。
8月までで7年間、85話が揃いました
今年3月1日から手元にある原稿で現在43話までアメブロに投稿しています
読むことはじっくりとわからない語句を調べながら読み進めることができます
知らないことが多いなぁと感じている方は じっくり読みを始めてみませんか?
時勢を織り込んだお話です
私の林要昭さんの法話ブログ第一目は👇
林要昭さんの法話を一話から投稿していきますので お付き合いください🙏
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85枚の原稿用紙をPDFに落とし、Word変換する過程で 半角余白や文字化けしているのを直していますので、まだ誤字脱字等、あるかと思います