愛せる自分になるためのお名前セラピー
有海由眞(ありうみ ゆま)です

アラフィフになって思い出すことがあります。
実は、
私の母は48歳の時に倒れました。今、私は48歳・・・同じ年齢です。
自宅で急に倒れて、
意識が一瞬なくなったの

焦って救急車を呼ぼうとしたら
「救急車は嫌!!!」
って叫んだんですよ。
今度は痛みで叫ぶし、救急車は拒むし
結局、近所に住む親戚に連絡をして
車で祖父が透析でお世話になっている総合病院に
夜間診療をお願いしたんですよ。
我が家の名字は珍しいので
「あら、〇〇さんの家のお嫁さんね。
すぐに入って〜。」
と診察してもらえたけれど、
夜間当直の医師は・・・
「ただの便秘ですよ。」
と言い放った。
「痛みが和らいだら、帰って。」
とまで言われたのに、
私は強かった
「このレントゲンのどこが便秘なの?
便ってどれですか?
こんなに痛がっていて、
あなたが選んだ点滴もダメで
ずっと冷や汗をかいてる患者に帰れってぇ?」
と、毒づきました
いや、もっと毒づいたかも・・・
さらに、
「あなただけじゃ信用できないから、
他の医師が来るまで残るわ。」
と言ったんです。
そうしたら、イカつい付き添いがいると
担当の女医が他の医師に連絡をしたようで
秒で他の医師が登場
(やだ、もう一人いるじゃん)
男性医師にも同じことを言いました。
キレられる覚悟で・・・
そうしたら、その医師は女医をすぐにその場から消したの。
その上で、
「これから手術をするけれど
原因はわからない。
開いてみないと答えは出ないけれど
今すぐ手術しないとダメなんです。」
と説明をしてくれました。
とにかく、レントゲンでヤバいとわかる。
これは、腹膜炎のようだ・・・
とか言ってた記憶があります。
今思うと、めっちゃ中途半端な説明だけれど
一刻を争う状況なのは理解できました。
うちの父は呑気なので一旦自宅に戻っていたけれど
私は朝になっていることにも気が付かずに
ずっと交渉してたの。
でも、本当に手術をするんだ・・・
と思ったら、同意書にサインする手が震えました。
新しい鎮痛剤のおかげで
少し意識が戻った母は泣きそうになりながら
手術室に向かいました。
続きは、また明日
