鹿を「鹿」と言う事 | 頑固爺”如風”コースケのブルース

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紀元前200年ころ。

中国を統一した秦の始皇帝の子として生まれ、第2代の秦の皇帝の胡亥(こがい)。

この胡亥の腹心であり丞相の趙高は先帝から仕えている古参の宦官。

趙高が胡亥の前に儒学者を集めたある日、檻に入れた鹿を差し出した。

趙高は、全員の前で

「立派な馬でしょう?」

と、尋ねる。

目を疑ったのは、儒学者だけではなく胡亥も同様。

しかし、権力者の趙高の言葉に、反論したのは2名の儒学者。

この2名は、処刑されてしまう。

ここから、「馬鹿」という熟語が出来たことは、有名な話。

こんな、2200年以上も前から現代まで、この風潮が続いている事に俺は驚いている。

安倍政権の時には、「忖度」という言葉が多用されるようになった。

そして今、この”鶴の一声”で政治が左右され、税金が個人の名誉のために流用されている。

今、鹿を「これは鹿」と言えるものは政治家の中、特に保守政党の中にはいないのだろうか?

言えないとしたら、全員が馬鹿なのかもしれない。

如風でした。