李下に冠を正さず | 頑固爺”如風”コースケのブルース

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李下に冠を正さず。

スモモの木の下では、冠を整すとスモモの実を盗むのではないかと勘違いされるので、そう言う事はしない。

そんな事から、悪事と思われる様な事は、しない。

そう言う意味の筈なのですが、前総理が加計問題で頻繁に答弁で使ったのですが、とても、そうとは思えない行動と言動の数々。

それどころか、「分からなければいい」とか「捕まらなければいい」の方が強かったような印象が残っています。

今、問題の総務接待事件も、その”伝統”を引きずって居ます。

とかく、官僚に限らず、地方行政の中に居る”お偉いさん”にも言える事ですが、特権階級意識が強過ぎる人が多い様です。

新人に近い人達は、志を持ち、精一杯の仕事をして居ますが、「長」が付いた途端に人格が変わり、頭の重力が軽く為り、腹を突き出し人の話を聞いたり、頭ごなしに決めつける上から目線の話し方に為ってしまいます。

古代から20世紀半ばの時代じゃあるまいし、今の日本に特権階級など合ってはならない筈の憲法。

「上級国民意識」の様な感覚を持っている人と言うのは、確かに「接待」それも「高級接待」には弱く、その中にある優越感に浸りたがる。

スガ問題も然り。

「総理の息子」という名札に寄りそって行くのは、灯りに集まる虫の様な物。

最近、漫画やアニメでブームを醸し出した「鬼」と言う者は、自分の心に宿ります。

国民の生活を守り向上させると言うのが、官僚の仕事。

その官僚や政治家達の心の中は、どうやら鬼の巣窟のようです。