悩まない、悩んでいるヒマがあれば考える

・「<考える>と<悩む>、この2つの違いは何だろう?」

僕はよく若い人にこく問いかける。あなたならどう答えるだろうか?

 

 僕は考えるこの2つの違いは、次のようなものだ。

「悩む」=「答えが出ない」という前提のもとに、「考えるフリ」をすること

「考える」=「答えが出る」という前提のもとに、建設的に考えを組み立てること

この2つ、似た顔をしているが実はまったく違うものだ。

 

 「悩む」というのは「答えが出ない」という前提に立っており、いくらやっても徒労感しか残らない行為だ。僕はパーソナルな問題、つまり恋人や家族や友人といった「もはや答えが出る・でないというよりも、向かい合い続けること自体に価値がある」という類いの問題を別にすれば、悩むことには一切意味がないと思っている。(そうは言っても悩むのが人間だし、そういう人間というものが嫌いではないのだが……)。

 

 特に仕事(研究を含む)において悩むというのはバカげたことだ。

 仕事とは何かを生み出すためにあるもので、変化を生まないとわかっている活動に時間を使うのはムダ以外の何物でもない。これを明確に意識しておかないと「悩む」ことを「考える」ことだと勘違いして、あっという間に貴重な時間を失ってしまう。

 

 僕は自分の周りで働く若い人には「悩んでいると気づいたら、すぐに休め。悩んでいる自分を察知できるようになろう」と言っている。(p5)
 

・「悩む」と「考える」の違いを意識することは、知的生産に関わる人にとってとても重要だ。ビジネス・研究ですべきは「考える」ことであり、あくまで「答えが出る」という前提に立っていなければならない。

 「悩まない」というのは、僕が仕事上でもっとも大事にしている信念だ。(p6)

 

 

バリューのある仕事とは何か

・「バリューのある仕事とは何か」

 僕の理解では、「バリューの本質」は2つの軸から成り立っている。

 ひとつめが、「イシュー度」であり、2つめが「解の質」だ。前者をヨコ軸、後者をタテ軸にとったマトリクスを描くと、図2(省略)のようになる。(その右上の象限に入るものが「バリューのある仕事」

(中略)

 僕の言うところのイシューは、

  A) 2つ以上の集団の間決着のついていない問題

  B) 根本に関わる、もしくは白黒がはっきりしていない問題

の両方の条件を満たすものがイシューとなる。

 したがって、僕の考える「イシュー度」とは「自分のおかれた局面でこの問題に答えを出す必要性の高さ」、そして「解の質」とは「そのイシューに対してどこまで明確に答えを出せているかの度合い」となる。

 図2のマトリクスに戻ると、この右上の象限に入るものが「バリューのある仕事」であり、右上に近づくほどその価値は上がる。バリューのある仕事をしようと思えば、取り組むテーマは「イシュー度」と「解の質」が両方高くなければならない。問題解決を担うプロフェッショナルになろうとするなら、このマトリクスをいつも頭に入れておくことが大切だ。(p26)

 

 

踏み込んではならない「犬の道」

・では、どうやったら「バリューのある仕事」、つまり、マトリックスの右上の領域の仕事ができるのだろうか?仕事や研究をはじめた当初は誰しも左下の領域からスタートするだろう。

 ここで絶対にやってはならないのが、「一心不乱に大量の仕事をして右上に行こうとする」ことだ。「労働量によって上にいき、左回り(「解の質」を上げたのち、「イシュー度」を上げる)で右上に到達しよう」というこのアプローチを僕は「犬の道」と呼んでいる。(p27)

 


「圧倒的に生産性の高い人」のアプローチ

イシュードリブン(第1章)

 今本当に答えを出すべき問題=「イシュー」を見極める

仮説ドリブン①(第2章)

 イシューを解けるところまで小さく砕き、それに基づいてストーリーの流れを整理する

仮説ドリブン②(第3章)

 ストーリーを検証するために必要なアウトプットのイメージを描き、分析を設計する

アウトプットドリブン(第4章)

 ストーリーの骨格を踏まえつつ、段取りよく検証する

メッセージドリブン(第5章)

 論拠と構造を磨きつつ、報告書や論文をまとめる

本文(p34)

 

 

根性に逃げるな

・僕自身の体験を踏まえ、一緒に仕事をする若い人によくするアドバイスがもうひとつある。それは「根性ににげるな」ということだ。

 労働時間なんてどうでもいい。価値のあるアウトプットが生まれればいいのだ。たとえ1日に5分しか働いていなくても、合意した以上のアウトプットが生まれればいいのだ。たとえ1日に5分しか働いていなくても、合意した以上のアウトプットをスケジュールどおりに、あるいはそれより前に生み出せていれば何の問題もない。「一所懸命やっています」「昨日も徹夜でした」といった頑張り方は「バリューのある仕事」を求める世界では不要だ。(p35)

 

・成長は意味のあるアウトプットをキッチリ出すことからしか得られない。バリューのある仕事をし続け、その質を保てるのであれば「仕事に手を抜く」こともまったく問題ではない。人に聞けば済むことはそうすればよし、今よりも簡単な方法でできるのであれば、そうするべきだ。(p36)

・「限界まで働く」「労働時間で勝負する」というのは、ここでいうレイバラー(laborer、労働者)の思想であり、この考えでいる限り、「圧倒的に生産性が高い人」にはなれない。冒頭で書いたとおり「同じ労力・時間でどれだけ多くのアウトプットを出せるか」というのが生産性の定義なのだ。

 プロフェッショナルとしての働き方は、「労働時間が長いほど金をもらえる」というレイバラー、あるいはサラリーマン的な思想とは対極にある。働いた時間ではなく、「どこまで変化を起こせるか」によって対価をもらい、評価される。あるいは「どこまで意味のあるアウトプットを生み出せるか」によって存在意義が決まる。そんなプロフェッショナル的な生き方へスイッチを入れることが、高い生産性を生み出すベースになる。(p37)



イシューを見極める

・序章で紹介した「犬の道」に入らないために、正しくイシューを見極めることが大切だ。いろいろ検討をはじめるのではなく、いきなり「イシュー(の見極め)からはじめる」ことが極意だ。つまり、「何に答えを出す必要があるのか」という議論からはじめ、「そのためには何を明らかにする必要があるのか」という流れで分析を設計していく。分析結果が想定と異なっていたとしても、それも意味のあるアウトプットになる確率が高い。「そこから先の検討に大きく影響を与えること」に答えが出れば、ビジネスでも研究でも明らかな進歩となるからだ。

 

・「これは何に答えを出すためのものなのか」というイシューを明確にしてから問題に取り組まなければあとから必ず混乱が発生し、目的意識がブレて多くのムダが発生する。ビジネスであれ研究であれ、1人で取り組むことはほとんどないだろう。チーム内で「これは何のためにやるのか」という意思統一をし、立ち返れる場所をつくっておく。(p46)

 

 

何はともあれ「言葉」にする

・イシューと仮説は紙や電子ファイルに言葉として表現することを徹底する。当たり前に聞こえるかもしれないが、多くの場合、これをやれと言われてもうまくできない。なぜ言葉にできないのかといえば、結局のところ、イシューの見極めと仮説の立て方が甘いからだ。言葉にすることで「最終的に何を言わんとしているのか」をどれだけ落とし込めているかがわかる。言葉にするときに詰まる部分こそイシューとしても詰まっていない部分であり、仮説をもたずに作業を進めようとしている部分なのだ。(p51)


「新しい構造」で説明する

・この構造的な理解には4つのパターンが存在する。

(1) 共通性の発見: いちばん簡単な新しい構造は共通性だ。2つ以上のものに、何らかの共通なことが見えると、人は急に何かを理解したと感じる。

(2) 関係性の発見: 新しい構造の2つめは関係性の発見だ。完全な全体像がわからなくとも、複数の現象間に関係があることがわかれば人は何か理解したと感じる。

(3) グルーピングの発見: 新しい構造の3つめはグルーピングの発見だ。検討対象を何らかのグループに分ける方法を発見することで、これまでひとつに見えていたもの、あるいは無数に見えていた者が判断できる数の集まりとして見ることができるようになり、洞察が深まる。

(4) ルールの発見: 新しい構造の4つめはルールの発見だ。2つ以上のものに何かのの普遍的なしくみ・数量的な関係があることがわかると、人は理解したと感じる。(p68)

 

 

条件③ 答えを出せる

・「インパクトのある問い」がそのまま「よいイシュー」になるわけではない。そしてファインマンが言ったとおり、「答えが出せる見込みがほとんどない問題」があることを事実として認識し、そこに時間を割かないことが重要だ。(p73)

 

・イシュー見極めにおける理想は、若き日との利根川のように、誰もが「答えを出すべきだ」と感じていても「手がつけようがない」と思っている問題に対し、「自分の手法ならば答えを出せる」と感じる「死角的なイシュー」を発見することだ。世の中の人が何と言おうと、自分だけがもつ視点で答えを出せる可能性がないか、そういう気持ちを常にもっておくべきだ。学術的アプローチや事業分野を超えた経験がものをいうのは、多くがこの「自分だけの視点」をもてるためなのだ。(p74)


イシュー起点でストーリーを組み立てる

・よく見るアプローチは、個別の分析を進めて、検証結果を追加し、場合によっては「本当に全部のデータを集めたのか」という不安にかられ、データを取り直したりする。だが、本書で紹介しているやり方はこれとはまったく逆だ。劇的に生産性を高めるには「このイシューとそれに対する仮説が正しいとすると、どんな論理と分析によって検証できるか」と最終的な姿から前倒しで考える。

 ストーリーラインづくりのなかにも2つの作業がある。ひとつは「イシューを分解すること」、もうひとつが「分解したイシューに基づいてストーリーラインを組み立てること」だ。(p107)

 

 

絵コンテとは何か

・イシューが見え、それを検証するためのストーリーラインもできれば、次は分析イメージ(個々のグラフや図表のイメージ)をデザインしていく。ここでも「分析結果が出ないと考えようがない」とは言わない。基本はいつでも、「最終的に伝えるべきメッセージ(=イシューの仮説が照明されたもの)」を考えたとき、自分ならどういう分析結果があれば納得するか、そして相手を納得させられるかと考えることだ。そこから想定されるものをストーリーラインに沿って前倒しでつくる。(p141)


絵コンテづくりのイメージ

・絵コンテづくり大切な心構えは「大胆に思い切って描く」ということだ。

「どんなデータが取れそうか」ではなく、「どんな分析結果がほしいのか」を起点に分析イメージをつくる。ここでも「イシューからはじめる」思想で分析の設計を行うことが大切だ。「これなら取れそうだ」と思われるデータから分析を設計するのは本末転倒であり、これをやってしまうと、ここまでやってきたイシューの見極めもストーリーラインづくりもムダになってしまう。「どんなデータがあれば、ストーリーラインの個々の仮説=サブイシューを検証できるのか」という視点で大胆にデザインする(p144)

 

 

分析の本質

・「分析とは何か?」

 僕の答えは「分析とは比較、すなわち比べること」というものだ。分析と言われるものに共通するのは、フェアに対象同士を比べ、その違いを見ることだ。(p150)
 

 

定量分析の3つの型

・分析の大半を占める定量分析においては、比較というものは3つの種類しかない。表現方法はたくさんあるが、その背後にある分析的な考え方は3つなのだ。このことを押さえておくだけで分析の設計がぐっとラクになる。

(1) 比較: 「分析の本質は比較」で述べたとおり、比較はもっとも一般的な分析手法だ。同じ量・長さ・重さ・強さなど、何らかの共通軸で2つ以上の値を比べる。

(2) 構成: 構成は、全体と部分と比較することだ。市場シェア・コスト比率・体脂肪率など、全体に対する部分の比較によってはじめて意味をなす概念は多い。「この飲料の砂糖濃度は8%だ」というのも、「毎日炭酸飲料を飲む人は5人に1人いる」というのも、構成による分析的表現だ。
(3) 変化: 変化は、同じものを時間軸上で比較することだ。売上の推移・体重の推移・ドル円レートの推移などはすべて変化による分析の例だ。(p154)

 

 

原因と結果から軸を考える

・分析の設計と言うと難しく聞こえるが、その本質はシンプルだ。「原因側」「結果側」双方でどのような比較検討が必要なのか、どれがいちばんきれいな結果が出るのかを絵コンテで描きつつ考える。これが軸の整理の本質だ。その軸が当たって、本当に意味のある分析結果が生み出せたときの喜びは大きい。「この結果は、おそらく今、世界で自分しか知らないだろう」という喜びを噛みしめる瞬間だ。(p159)
 

 

トラブルをさばく

・次に重要なのは「正しくトラブルをさばく」ことだ。

 (中略)

 トラブルへの予防策の基本は、重大なことにできる限りヘッジをかけておくことだ。

 (中略)

 総じて、できる限り前倒しで問題について考えておくことだ。このように「できる限り先んじて考えること、知的生産における段取りを考えること」を英語で、「Think ahead of problem」と言うが、これは所定時間内で結果を出すことが求められるプロフェッショナルとして重要な心構えだ。(p187)

 

 

回転数とスピードを重視する

大切なのは「答えを出せるかどうか」だ。どれだけエレガントなアプローチをとったとしても、それが正しくイシューにに答えを出せなければ何のインパクトも生み出さない。そして、もうひとつ「スピード」というものがここでは決定的に重要になってくる。この「完成度よりも回転率」「エレガンスよりスピード」という姿勢を実践することで、最終的に使いものになる、受け手にとって価値のあるアウトプットを軽快に生み出すことができる。(p199)

 

 

おわりに「毎日の小さな成功」からはじめよう

・「経験しないとわからない」と書くと、「じゃあ、この本は何のためにあるのか?」と言われそうだが、この国では論理的思考や問題解決において、新しいツールの紹介のようなものばかりが行われ、本質的な知的生産についての議論が足りてないように覆う。この本が共通の議論のベースと実践の手がかりとなればと願っている。

 

 特に周りが「死ぬまで働け!」といった「犬の道」信者ばかりで、信頼できる相談相手がいない人は、疲弊して倒れてしまう前にこの本をヒントにして「考えて」ほしい。「悩む」のではなく、「考える」ときに使ってもらい、大きくても小さくても、ひとつのまとまったプロジェクトを乗り切ったときにもう一度立ち返って目を通していただければまた違った発見があると思う。(p240)