こんにちは
今日は、肌寒いけど、いい天気の鹿児島。
午前中は、保健センターのお仕事をしてきました。
今日は実は、特別な日で、朝から声を出して泣く一日のスタート。
たくさんのママたちと会うので、なるべく目を腫らさずに、顔がむくまないようにと、できるだけ、涙を我慢した朝。
長文になると思われるので、スルーしてくださっていいです
10年前の今日、11月21日 朝8時に家を出てから、私の人生が変わりました。
保育園に出勤途中の私のバイクと、トラックと衝突。
すぐ近所でのこと。
今でも、事故当日の朝はもちろん、それから入院生活中の最初の約1ヶ月と、事故から過去10年ぐらいの記憶が全くないので、正直、事故を振り返ることはできないのですが。
旦那さんはその日から航海、息子と娘をいつもの通り「いってらっしゃ~い」と送りだしたはず。
それから自分が保育園に出勤。
バイクに乗り衝突事故。
加害者の方が、救急車を呼ぶあいだ、意識がもうろうとしていく私に
「死なないでください!!」と声をかけたらしいですが、
「子供がいるので死ねません・・・」と言ったあと、意識不明になったそうです。
大きい事故だったようで、ニュースにも出ていたとか。
市立病院に運ばれたものの、意識も戻らず、くも膜下出血・顔面骨折・鎖骨骨折・大腿部骨折・半月板骨折と、全身にわたって体はひどく損傷していたので、命が助かったこと自体が、不思議なくらいだったようです。
車椅子生活と記憶障害があると説明され、かけつけた主人も腹をくくったようです。
誰の声かけにも意識は戻らず、もう駄目なのか・・とあきらめかけた時に、かけつけた母が「恵子ちゃん!戻ってきなさーい!!」と、私の耳元で叫んだら、私が子供が泣くように意識が戻り、私と母は治療室で泣きじゃくったそうです。
母とはそんなに仲がいいのかというと、そうではないんですが・・
やはり母のお腹の中で細胞から生きてきた私。
母の声は私の体の中の細胞の中に記憶してあるのでしょう。
この世に戻してくれた母の力には感謝でした。
ただ・・・「自分の声には反応しなかった・・」と寂しがっている旦那さんがいることも確かです
旦那さんは航海だったのですが、上司の配慮もあり、船を下ろしてもらい、機械に繋がれた私を、最初の10日間泊まり込みで看病してくれました。
監視カメラも設置してあったのですが、ナースコールさえも押せない私。
食事なんて取れない。
口も避けていましたし、歯も折れていたし、水さえも飲めない状態。
わけのわからないことを話たり、笑ったりする私を見て、おかしいやら、悲しいやら、本当にこれからの人生を覚悟したらしいです。
家は、私の母が子供たちの世話をしてくれました。
主人も、痛みと戦っている私が寝ついたら家に帰り、母をねぎらい子どもたちに声をかける毎日。
本当に生きた心地がしなかったそうです。
が・・・主人の献身的な介護のことは全く記憶がなく・・・
ごめんね。。。
でも、退院の時に、色々な看護師さんから「旦那さんを大切にしないとバチが当たるよ」との言葉を何人にも言われると、本当に大切にしててくれていたんだな~というのはわかります。
車椅子生活と断言された私。
主人にも、子供にも迷惑をかけられない。
保育園にも戻りたい、子供たちと遊びたいという思いの中、4ヶ月弱の入院、1年半以上の涙のリハビリを終え、体には7ヶ所の障害を残してしまいましたが、今ではこんなに元気になりました。
顔の麻痺は残りましたが、事故前と変わらない表情を残すことができました。
実は、ひきつっていて、気持ち悪いのですがね。
それは、私にしかわからないことなので、よかったです。
体も、10年間、痛くない日はないので、痛みと付き合っています。
とにかく、起きていても、寝ていても全身が痛い、、、
それは、変わりません。
結局、全身損傷の事故にもかかわらず、どこも手術することなく、ただひたすら寝るという入院生活。
くも膜下出血も自然吸収され開頭手術なし。
つぶれていた顔も神経はなくなってしまいましたが、以前と変わらない表情。
視力もかなり低下しましたが、老眼は入りつつも今では普通に見えるし。
足もプレートを入れずにギプスのみ。
これには、私に携わってくださった、色々な科の先生にも診察をするたびに頭をかしげられる私でした。
私は一体、何者に映っていたんだろうかと思います。
入院生活、4ケ月の間、毎日毎日病室に来てくれた旦那さん。
病院食にあき、「弁当買ってきて~」の、私の突然のメールにも、嫌な顔せずに対応してくれました。
とりとめのない話を、ずっとしていました。
寝たきりの生活が1ケ月。
今日からリハビリ!!という日。
はじめて自分の体に気がつきます。
産まれたばかりの赤ちゃんと一緒で、まず首が頭をささえられない。
ベットに自分で座ることもできない。
つかまってと言われても、つかまれない。
自分で車いすに乗れない・・・
体はぐにゃぐにゃ。
あまりのショックに、このままではリハビリができない・・・と、少しだけ時間をもらいました。
布団をかぶって、はじめて声を出して泣きました。
思いっきり泣きました。
そのかわり、この布団から出る時には、今後しっかり自分と向き合い、絶対に泣かない。
そう決めて、布団をめくりました。
「お願いします、、、、」
そこから、リハビリがスタート。
車椅子にも乗れる状態ではなかったので、そこから。
まずは、車いすに座れるように。
次は、自分で車いすに乗れるように。
ずっと、ベットの上で、食べさせてもらい、歯磨きをする。
おむつ生活に、体もベットの上で拭いてもらう。
そんな生活から、自分で洗面所で歯をみがけた時、泣きました。
片手ですが、洗面所で顔を洗えた時、泣きました。
自分でトイレで用をたせた時、うれしくてうれしくて、声を出して泣きました。
声が外に漏れないように、何度も何度も、水を流して泣きました。
みなさんには、日常生活ですから、当たり前のことなんですがね。
その当時の私には、当たり前ではなかったんです。
いつもいつも、誰かの手をわずらわせないといけない生活。
それがとても心が痛かったのです。
市立病院から、他のリハビリをする病院に転院するまでには、歩行器を押して歩けるようになっていました。
車いす生活と断言されていましたが、その回復ぶりに、病院の先生方もびっくりされるほど。
転院先でも、まずは生きていたことにびっくりされました。
入院中も、できることはすべてしました。
ベットの上では、筋トレ。
時間があれば、院内をずっと歩いていました。
とにかく、自分で歩きたい。
そこを退院する時には、杖をついて歩けるまで回復。
自分で限界を作らなければ、ちゃんと体は答えてくれるんですね。
もし、車いす生活をゴールにしていたら、今ごろは車いすだったでしょう。
だとしたら、今の私はいない。
そう思いました。
記憶はかすかながらも、旦那さんの姿が今朝から鮮明に浮かび、涙が止まらなく、もうその旦那さんがいないんだと思うと、声をあげて泣かずにはいられませんでした、、、
今日のこの日をさかいに、人への「感謝」の気持ちが、自分には足りなかったと思い知らされる日となりました。
旦那さん
には、結婚して子供がいるんだから、協力してくれて当たり前でしょ!と思っていたような気がします。
だから、家の事をしてくれて当たり前で、子供の面倒見てくれるの当たり前、給料を持って帰ってきてくれるのが当たり前。
母は、私の親なんだから、色々としてくれて当たり前。
そんな私に、そうじゃないでしょ!とわからせてくれたのがこの事故でした。
「いってきまーす」「ただいまー」が、当たり前ではなく、奇跡だということ。
そう思うと、「おそい!」「休みがない!」「家のことをしてくれない!」という愚痴がなくなりました。
家族でケンカしながらも、夜には食卓を囲みテレビをみながら笑えること。
寝てばかりの旦那でも、いてくれること、それも奇跡です。
母には、あまり電話をすることはなかったのですが、事故以来は「元気?」「体調どう?」と自然に声をかけられるようになりました。
保育園も復帰。
杖をつきながらの復帰でしたが、記憶障害もあり、先生の名前、子供たちの名前も思うように出ず。
おかげで脳トレ・筋トレになり、ぐだぐだの体になっても職場に戻してくださった保育園には感謝でした。
それから色々あり、保育園をやめてベビーマッサージの勉強。
試験は、障がいが残ったまま受験しました。
この教室も、9年目です。
ベビーマッサージに出会い、教室を初めてからというもの、1000組以上のママ&ベビちゃんたちと出会うこともでき、ママたちからもたくさん温かい言葉をかけていただいたり、元気をいただいたり、毎日が感謝の気持ちであふれています
こんな気持ちにさせてくれた事故。
周りには迷惑をかけてしまいましたが、今の私がいるのも、家族をはじめ、色々な方との出会いのおかげでもあります。
命をまた授かって10年。
旦那さんと今年の正月に、10年たつんだね~と話をしたんですよね。
ちゃんと、お礼らしいお礼も言えてないよな。きっと・・・
この10年。
生きているというより、「生かされている」という感じ。
せっかくいただいた命。
家族にはもちろんですが、自分のためではなく、どなたかのために使いたいと思ってきた10年です。
私ができること。
子育て中のママに寄り添うこと。
そう思って、教室もしてきました。
もちろん、これからもそのつもりでいます。
今回、私の一番の理解者である旦那さんがいなくなり、自分もまだまだぐだぐだで・・・
今では、そのママたちに助けていただいていますが、必ずまた。
こんな気持ちの朝でした。
旦那さんの前に座って、久しぶりに大声で泣きました。
もしこれから、私に何かあったら、誰が支えてくれるんだろう。。。
旦那さんが亡くなった日。
ドキドキして病院に行った。
旦那さんも、私が意識不明と聞いて、どんな気持ちで病院に向かったのかわかった。
先生からの容態説明に、心臓の変などきどきが止まらなくなった。
旦那さんもだっただろうな。
旦那さんの当時の様子が、本当に手に取るようにわかる。
今度は、私が恩返しする番!!と、私は病院で腹をくくったのに・・・
それなのに、私の手をわずらわすことなく、たった数時間でいなくなった。
旦那さんが私にしてくれたように、私にも看病させてほしかった・・・
会いたい、、、
会いたいよ、、、
ぐだぐだで、長文になりすみません・・・
えらそうなことは言えませんが、「家族」「旦那さん」「子供」「出会い」に感謝の気持ちを持つことを大切に。
明日は、実希の誕生日。
旦那さんがいない誕生日は、正直辛いですね・・・
それは、旦那さんも一緒かな・・・
実希も一緒かな・・・
いつ何があるかわからない毎日。
怖がる必要はありませんが、毎日を丁寧に生きたいですね☆
これからも、よろしくお願いします