昨日のブログにししまるさんがコメントをくださった。

そして、久しぶりに私がバレーボール選手だったことを

思い出した。

小学校四年生から、友達をたくさん作りたい!という動機と

背が高かったという理由で始めた。

結構、県内では強く県大会も上位に入っていた。

中学でももちろん続け、その時の顧問が、前回講演会で

お世話になった池田先生。


高校は、色々悩んだけれどいつも決勝までは


いけるのに僅差で

優勝を逃し続けていた高校を選んだ。

そして、高校では春校と、インターハイ出場を経験

させてもらった。

それが、きっかけで今は無きユニチカに入団。

当時は、一番練習がキツイと有名だった。

何度も逃げ出したくなったり、辞めたいと思ったことも。

だけど、その時私はバレーが出来なくなる辛さを

予想もしていなかった。

ほとんどの選手は、結局故障で引退を余儀なくされる。

私も、その一人だ。ある日から膝の痛み、腰の痛みが

半端なくなっていた。でも、まだまだ続けられると。

でも、とうとう私の体は悲鳴を上げた。

あっけない幕切れだった。

引退して高松に帰ることをためらった。


ずっと、応援してくれた

家族や友人たちに会わせる顔が無い。

底沼のように、どこまでもどこまでも落ち込んだ。

物心ついてからバレーしかしていない私にとって

バレーをやめるということは…。

高松に帰ってから、しばらく引きこもり。誰にも会いたくなかった。

何をしたらいいかわからなかった。


でも、それがあったから今の私がいる。


たくさんの出会いと、ご縁で本当に充実した毎日を


送らせてもらっている。


しかし、そのお話はまた明日にでも~



しょうこ筆





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