訓練所に入る・・・・。 | つまづいても 犬たちとのエブリデイ

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ひとりの やや元気すぎるおばちゃん訓練士の、ドタバタな日々のブログです。

ブログを始め 私の訓練士になった経緯なども書いてきましたが それとは別に 訓練所に見習いとして入所するということを綴り 残しておこうと思います。


私たちが訓練所に入った頃 訓練士を養成する学校はまだありませんでした。

今は どこの若い子達も ほとんどが専門学校を出てからの入所です。

当時と今との違い・・・これは相当なものがあります。受け入れる側にも 入る側にも・・・・。



”訓練士を目指す”


日本に犬の訓練士という職業ができたのは たぶん まだまだ歴史が浅いのかも知れません。

戦争中に軍用犬として 民間で飼育されていたシェパードたちが軍に連れて行かれたという事を読んだことがありますが その当時は海外の書物などを参考に訓練を進めていたのではないでしょうか。

戦争が終わり 犬の訓練士 という仕事をする人が出てきたのだと思います。

その当時は 軍用犬 という考え方の中での訓練ですから 強制訓練 が犬の訓練の主流だったのです。


その日本での訓練士の草分け的な存在の先生方も だいぶ他界され当時の話をご存じの方も少なくなってきたと思います。

そういった草分け的な先生方が 日本の職業訓練士の最初だったと思います。

訓練士の世界は 男社会 でした。今でこそ女性訓練士は多くなりましたが 当時は 男だけの世界でした。

私が高校を卒業し 最初に師事した先生が 日本での女性訓練士1号だと聞いています。

その女性訓練士1号の先生が 訓練士を目指したのは ご結婚され お子さんを産んで暫くしてからだということです。

先生の所に居るときに 伺ったことがあります。「先生はなぜ訓練士になったのですか?」と。。

そしてお答えは 

先生は取り立てて犬が好きだったわけではないそうです。ご主人が拾ってきた雑種犬を世話はしていたけれど好きではなかったと。。

子供を産んで しばらくすると先生の心の中に 「この子が育ったら 私には何が残るのだろう・・・」という気持ちが芽生えてきたそうです。ちょうどそんな時 公園で子供を遊ばせていたら 近くでシェパードの訓練をしているのが目に入ったそうです。

「これだ!!」と 直感で決めたとおっしゃいました。

先生は もともと独立心の強い女性だったのかも知れません。当時 女性は適齢期が来たら結婚をし 子供を産み育て 家庭を守るもの・・・という風潮の中 それでは満足ができなかったのかも知れません。

訓練士になることを決めた先生は ある訓練所の門を叩きましたが 門前払いをされました。

しかし 先生は 何度も何度も通い詰め とうとうそこの所長に「うん」と言わせてしまいました。

ただでさえ訓練士の修業はきつい物なのに 結婚をしていて子供のいる女性など無理に決まっているという所長を説き伏せたのです。

先生は その所長に 「主人とは離婚します。子供は田舎の実家に預けます。」と言われたそうです。

相当な意志の強さです。

離婚も 子供を預けることもなさいませんでしたが 住み込みで修業はできないので 毎朝 5時には訓練所に来て修業を積まれたそうです。

その先生のお陰で女性にも訓練士の道が開けてきたわけです。


訓練所の仕事に お休み はありません。365日 早朝から深夜まで犬と過ごします。

私も最初 入所したときには半年間お休みはありませんでした。

住み込みで修業をしますので お給料 ではなく おこずかい を毎月いただくだけです。

住まわせてもらい 食事を出してもらい 勉強をさせていただく という考え方・・・・今の若い人達には信じられないでしょうね。

徒弟制度 というヤツです。

先生のおっしゃることは 絶対 です。万が一 先生が白い物を 黒 だとおっしゃれば それは 黒 なのです。


それが訓練所の生活。

それはそれは 精神的にも 体力的にも 追いつめられます。

何人もの人達が 途中で耐えられず道半ば訓練所を去っていったことでしょう。

精神的にも強く 自分の将来を見据えることができる人間だけが 生き残れる世界なのです。