このブログで私は度々 仲間達との関わりについて書いてきました。
私に関わってくれた人、現在も関わってくれている人、その方達ひとりひとりが私にとってはとても大切な存在です。
幸い私の周りの仲間達は本当に人間的にも健全で おつきあいをしていて私の宝となるような事をたくさん伝えてくださいます。
私はちょー単純な人間だし お調子にも乗りやすいので失敗も数知れず・・・ の人生を歩んで来ました。
失敗したときに注意してくれる人が居なかったら・・・・
私が素直に忠告に従うことのできない性格だったら・・・・・
今の私は ここ に存在していなかったかもしれません。
人は勘違いをしてしまいがちです。
私のことを 「先生」 と呼んでくださる方もたくさんいらっしゃいます。でも 私はこう呼ばれるのはあまり好きではありません。単純な私はおだてられると木に登ってしまいそうで 自分を制するのにかなり意識をしてそうならないようにしました。
訓練士になって30年 シェルティの繁殖を本格的に始めて20年 まだまだ 勉強中。。。。
訓練に関しては それなりのプライドを持ちどんな問題を抱えた犬でも飼い主さんの納得のいく指導ができると自負しているけれど、それでも まだまだ 勉強することはたくさんあると思っている。。。
これでOK 私は何でも知っているとは言えないのですから・・・・。
これまでの仲間との関わりで以前にも書いたシュガーさん サリーさんは 私のお姉さんのような存在で、調子に乗りやすい私に度々注意をしてくれます。
それを イヤなことを言う人 私を否定する と受け止めるか否か・・・・・。
本当のつきあいをしていけばいくほど 本音で腹を割って話をしていかなければ、ただの表面上の、商売上のつきあいにしかならなかったでしょう。
自分なりに一生懸命やってきたことを否定されたときに それを 忠告または一つの考え方として捉えるか、誹謗中傷と捉えるか によって 自分の進路は変わると思います。
確かに これでいい と感じていることを 違うんじゃないの って言われたら むっとくることもあるかもしれないけれど、大人なら一歩引いて冷静に受け止めて行くべきなのかもしれません。
厳しいことを言ってくれる人の存在は貴重です。自分の宝になることをたくさん放ってくれていると思います。
どうでもいい人になんか宝は投げてくれません。
謙虚な気持ちを持つことは やはり美徳だと思います。
人の言葉に聞く耳を持たず自分だけを主張する人は 心が本当に貧しい と思います。
頑張っている人 一生懸命やっている人の事は 自分から「私はこんなにがんばってんのよ!!」と言わなくても 見る人が見ればわかるものです。
時には頑張ってる自分を褒めてあげることも大切ですが、それを声高に言うものではありません。
さりげなく 自然体でいけばいいのだと思います。人が投げてくれる 宝 を拾い損ねないように・・・・・・。