あれから15年の真実 | 死の淵から運動で人生を好転させた好美の運動スクールUpTurn24

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『お父さんとお母さんがいなくなったらわたしもいくから…だから大丈夫!お兄ちゃん夫婦やお姉ちゃん夫婦には迷惑かけないから』

 

 



↑これはわたしが出した結論を、

明るい口調にも似た声で、

母に覚悟という暴力にもなるような言葉をなげていました。




陰で母が泣いていたことを知ります。

それがもう十数年前。




 

わたしが中途半端に生きたことで

家族の負担になっていくんだな…

そう申し訳なく感じて過ごした

不安の10年間。





自分に負けていると気づいて奮起し、

手伝ってくれる人が現れ、

今のわたしがいます




それは去年『あれから15年』の中に書きました。

 

 





今日は10月4日✨

2回目の誕生日





昨年書いた『あれから15年』のブログに未だ反響を頂けるのは、

過去の出来事から頑張ったご褒美と勝手に思っています。

 





そしてこの成功体験にもにた経験はもう過去の栄光だとも思っています。

 







あのブログの中にある鬼のように体を治せたキッカケになった想いは、

人に迷惑をかけるのが怖かったわたしが考え出した、



『両親がいなくなったらわたしも終わる』という残念な想いからでした。

 




未熟で重くて強い言葉で罰当たりですが、これが真実です。

 

 




こんな想いから命を捨てるように、

トレーニングに向かいました。




どうせならやってみてから…

これで終わっていいだろうかと。





わたしが事故にあったことで、

自分を責めている人達の為にも

頑張ってみよう…と。

 





そんな想いから、

必死にあの時期だけは寡黙に自分の体を治すことになるのです。






あれから15年はこちらから

https://ameblo.jp/happy-ny725/entry-12314624351.html

 





 

事故当日、

わたしは親友と彼の3人で事故にあう事になります。





親友のおうちでご飯を食べていました。

親友のお母さんがわたしにもと贈り物をしてくれて段ボールになったのでタクシーで帰ることに…





 

そのかえっている途中に、

遊ぶ約束をしている彼から電話が!





『今どこ?』

『どこどこ・・』←場所の名前

 

『・・・・・・・』





この彼の沈黙をわたしは忘れない。

この沈黙は付き合いが長かったので

言いたいことが手に取るようにわかりました。



そこで降りろ!迎えにいってやる!と言いたいんだと。

 




彼が疲れているのを知っていたわたしは

彼が言いだそうとする言葉を制止するかのように、





『待っててね!もうすぐつくから!先に家にいっていて』と…








その電話を切って10秒後くらいに事故にあいました。





 

 

そしてもう一つの選択



『右折しますか?直進してから右にいきますか?』

タクシーの運転手さんが聞いたのです。




『真っ直ぐいってください!

   いや…右折してください!』




と言って右折途中に事故にあいました






人生は選択の連続。

一寸先は闇…

まさにその通りだと知ることになりました。

 






何かが1つ違うだけで、

事故にはあっていないきっと。





人生はおそらくある程度決まっているんだろう…

わたしはそう思います。

 

 





わたしが家に呼ばなければ…

わたしが届けていればと親友は自分を責めることに…




親友のお母さんはこう思ったでしょう…

わたしが贈らなければ…



そして彼はあそこで降ろしていれば…と。まさにそこで降りろと言いたかったと後に聞きました。





わたしたちは一緒に交通事故にあうことになりました。

 

 










リハビリを終え、

働けるけど1日は無理、

立っていられない、座っていられない、

でも日常生活ができる、

でも無理をすると夜に眠れないくらいの痛みがくる…





まさにこの中途半端な感じに、

何年も苦しめられ続けました。

 






友人たちが結婚、妊娠、出産とステージが変わっていく中、

わたしは羨ましいという感情すら思えていなかったと思う。

 






わたしはというと、

自分にウソをついて痛いと言えず、

周りの負担になりたくないので、

積極的にいつもニコニコよく農業の手伝いをしたと思う。







夜には痛み止めを飲んでもきかない痛みに悩まされながら…




人の役にとにかく立っていたくて、

無理をしてウソをついて、

痛くても痛いと言えずに色んなことをしていたと思う。

 





周りの人は元気にしている…

そんな印象をもっていたと思う。

 






旅行にも行ったし遊園地にも行ったりしました。




乗れるんだってところを見せたかった変なプライド。




そして痛くて夜に熱を出したり、

お買い物もみんなについていきたくて痛いことをなかなか切り出せずに



とにかくわたしはみんなの負担にならないようにと、

迷惑をかけないようにとつとめあげていました。

 




友人たちと遊ぶ機会も減り、

みんな家族ですごすことがメインになっていきました。




わたしは自分の体の不安や将来の不安からで心の中の雨がずっとあがらなかった。

 





このあたりから事故の二次被害にはまっていく…







子供はあきらめていいんじゃないかと言われた事実。





誰かとお付き合いするところまでいってもそれを言うことが試練でした。

 




男性からしてみれば、

付き合ってと言っただけで結婚は考えていないかもしれない。





でもその事実を言わないのはフェアじゃない気がしました。




男性は付き合ってと言ったけど、

その理由を聞いてやっぱり付き合えない…



なんて、とうてい言えないことの空気を先に読んで、




付き合うとかじゃなくていいのー!

と精一杯の笑顔と、

無いボキャブラリーを使うことを意識しました。





わたしは得意の自分が我慢!!で相手をどうにか楽にしてあげたかった。





ここまで読んでみなさん感じていることと思いますが…



まぁ!素直じゃないですよね!!!泣きたいです(笑)

 

 




わたしはしっかり心に事故の後遺症も残りました、初めて書きます。





パニック障害というものにかかりました。





飛行機になんて、

JRになんて、

美容室になんて、

乗れないいけない・・怖い・・




パニック障害の方はなかなかできません。

わたしもその1人でした。

 




でも、

怖くても息が時にできなくても負けてたまるもんか!と思っていました。





相反する鬼のように強い自分も見えました(笑)

 




そこでわたしは『無視』をすることを思いつきました。




息が苦しい…どうしよう!!

ではなく!!

息が苦しいのは気のせい!苦しくない!

 





その苦しいを意識した上で無視を。

そんなことできるの?





できるんです!・・

ではなくて!


やるんです!

ねじこむんです(苦笑)

 





それが自分であみ出した最高の対処法でした。

 





わたしはやはり一緒にいる人を驚かせたくない、

怖がらせたくない、

変に思われなくない、

嫌われたくない…

そんな小さなきもちをもっていたんです。

 




息が苦しくなったときは、

そばにいって大丈夫?と背中をさすってあげましょう的な、

パニック障害の人に対するマニュアルみたいなものがありました。





わたしは家族に協力をしてもらったことがありました。

それはそのマニュアルとは正反対のことでした。




そのマニュアルをされると余計にひどくなる自分がいたからです。





大丈夫?と言わないで!

背中をさすったり寄ってきたりしないで!

普通に生活してほしい!と頼みました。






だからわたしが苦しくなると、

家族みんなはそれぞれのことをしていました。


いや…してくれていました。




父がテレビの音量だけは下げてくれるのが定番でした。

 

 





それがきくかどうかなんてわからないけれど、

わたしは事故当日と同じところで、

1人でタクシーを拾い、

事故当日と同じルートを走ってもらいました。

それをすることを誰にも言わずに…

 





とにかく1ミリでも治りたくて必死だったから。





それが荒療治だろうが、

もしかしたらマイナスに向いちゃうかもしれなかったことなどもあみだして自己流で何でもしていました。

 




これらを抱え、

時に乗り越え、

あれから15年の中にある必死のトレーニングにむかいました

 





こんな日々を送っている間、

親友はわたしみたいな人を治してあげたいと整体師の道へ転身します。





彼女の道が変わることに…





そしてこの間わたしたちは全く連絡を何年もとっていません。

お互いがお互いの道へと必死でかけあがっていました。

 





再会した時には彼女は先に整体師に、

わたしはインストラクターに!





彼女はわたしのレッスンを受けにきてくれました。





わたしの股関節が開いている様子をレッスン中に見た彼女が、

涙をこらえている姿が未だに目に焼き付いています。





そこからどうやって復活していったか話しました。

彼女は2秒で泣いたと思う。

 





今はわたしが彼女に体のメンテナンスを札幌に行ったときにしてもらいます。




彼女は札幌で店長さんをしています。





お客様への対応や心遣い、技術、

そして情熱は本当に素晴らしいです✨

尊敬しています。




彼女の運命をも変えた事故。

 




おこった出来事は変えられないし時にとても残酷なときもあります。





でもそのおこった出来事に対してどれだけでも意味をつけて、

前を向いてそれを好転させて歩いていくことを忘れないことをこの事故から教えられました。

 






マニュアルや、症例や、そんなことよりも自分が楽になれることをあみだし、

知恵を絞り、1ミリでもいいと思うことを実行する…




そんなことの方が大事なんだって思った1人です。

 




治りたい!治したい!治す!そう決めたらどんだけでも道はあるはずで、

たとえそれにたどり着かなかったとしても得られるものがあるんです。

 





諦めなかった者だけが手に入れられるものがある

 






去年書いたあれから15年には、

到底書ききれなかった分を今年書くことにしました。





綺麗なことばかりではなかった。

決して思ってはいけないことを思い、

でもそれが原動力にもなりました✨





だからどんな感情も正しい…

わたしはそう思います。

 




今、同じような想いをしている人がいたらどうか…

どうか踏ん張ってほしいです。





わたしにはもうこの出来事は過去の栄光です

 



いつか過去になるから✨






次の目標へと、

また1つずつ前を向いて歩いていく

それがまたわたしの成功体験へとなるはずだから…

 

 




この10月4日という日は、

きっとずっとわたしにとって色んなギフトをくれる大切な日です✨






読んで不快にさせてしまったらごめんなさい。

 





またこの1年も、この体1つで、

わたしを助けてくれた運動を情熱をもってソッと私らしく頑張りたいです。






読んでくださりありがとうございます🍀





 

みなさんとみなさんの大切な人の今日も、どうか穏やかで幸せがありますように🍀