ヨガという言葉は「結ぶ」という意味のインドの言葉です。 yuj、ユジュ=軛(くびき)をかけるという言葉から派生したものです。 軛くびきとは、勝手に動き回る馬をコントロールするために首の後ろにつける乗馬用具です。 そこから、ヨガ=結びつける の、結ぶことと意味を広げました
「私達の本質(アートマン)は車に乗るものであり、身体は実に車(乗り物)であるものと知れ。 統覚(とうかく)機能(意識の統一性)は御者(ぎょしゃ)であり、そして意(こころ)は、まさに手綱(たづな)であると知れ」
私達の本質がカラダ(車)にのり、カラダは私達の本質を乗せる乗り物であり
意識がカラダをコントロールし、
心は車と意識を繋ぎ、意思を伝えるたづなである
「人々はもろもろの感官をもろもろの馬と呼び、 感官の対象を馬に対して馬場と呼ぶ、アートマンと感官と意が結合したときに、 賢者はこれを享受者と呼ぶ。。」
「意のままにならない、心と体を制御し、悟りの境地へ持っていくことを、
馬車(潜在意識や体)を操る御者(ぎょしゃ)に例えています。そしてそれらのはたらきの”結合”を説いています。これがヨガ(結び)です。
古典ヨガでは悟りへ自分を結びつけるものがヨガ。ハタヨガでは心と体を繋ぐ、心身のエネルギーを宇宙エネルギーに結ぶ、などと使います。
目的へ”結ぶ”ための手段のひとつが、アサナであり呼吸法であり、ヨガ的生活(ヤマ、ニヤマ、クリヤーヨガ)であるといえるのです
静かに坐り呼吸を整え、心の本質、宇宙の本質を悟るための瞑想がヨガ。そういう”瞑想的なヨガ”を「古典ヨガ」といえます。
紀元前数百年に編纂された哲学書、ウパニシャッドにこう出ています。
「心と五感とがともに静まり、知識が動揺しないときこれをパーラーガティ、 つまり最高の極致と名づける、この抑制こそヨーガである。」 カタウパニシャッド
「 パーラーガティ」仏教の有名なお経、「般若心経」の後ろの方に出てくる
「ギャーティ、ギャーティ、ハーラーギャティ」の波羅羯諦(はーらーぎゃーてい)です。(パーラガーテ)インド思想、哲学と仏教はつながっています
そしてその境地にいくための作法、心と体の基礎修行が、
古典ヨガ(瞑想ヨガ)という共有システムであったと言われています