最近は以前にも増して生命が身体に宿ることや身体の持っている可能性って何だろう?と、自分の身体と対話しながら過ごしています。
身体と対話すればするほど、
presence「在る」
という場を深く感じとることが出来る。
母が亡くなってから、実は涙が出なくて、
感じたのは「存在」なんですよね。
(これからまたいろいろ感じるのかな、その時はたくさん泣きます。)
感情が麻痺しているのかなと思ったのですが、
そんなこともなく、
今まで分離していたものが統合され、全体になったような気がして寂しさがあまりないのです。
人は失われていくプロセスに、
悲しみや寂しさを抱くものだけど、
そのように見えたり感じたりするだけで、
実のところ何も失っていなければ、
得てもいないのかもしれません。
ただ「在る」だけ。
母が灰になったのを見た時に、
presence「在る」
という場を深く感じました。
死という別れであろうと、
生きている人との別れであろうと、
やっぱり本質は何も失ってはおらず、
その時を積み重ねた経験がその人の中に
生き続けて「在る」、
その経験がその人らしさを創り出していく。
後から気づくことや感じること、
分かることがたくさんあるものですね。
今だから分かることが本当にたくさんあります。
経験とは尊いものです。
presence「在る」
確実に私達を生きているものが存在します。
私やあなた、
一見バラバラに見えるけど、
私達を動かすものは同じものなわけで。
生命は一つ。
こうして生命全体が、
私達を生きているのですよね。
身体が当たり前に動く。
呼吸をしている。
身体中に血液がめぐっている。
毎日毎日天体のリズムが寸分違わず動き、
私達もまた、この身体的な生命活動の土台の上にそれぞれの人生劇場が繰り広げられているわけです。
そう思うと、
人も自然も地球上の全てが
とても愛おしく感じます。
こうした思いが、
人が自然に何かを表現したくなる源でもあるのかな。
今日はとりとめないブログです。
皆様、
寒くなって参りましたので、
どうぞご自愛くださいね♪
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