昨日葬儀も終わりまして、ひと段落つき、
長野に戻って来ました。
24日はチャリティイベントで弾かせて頂く予定になっておりましたが、
急遽出演を取りやめさせて頂き、関係者の皆様には大変ご迷惑をおかけ致しました。
でも、快く受け入れて頂き感謝致します。
お陰で母の最後をずっと一緒に過ごすことが出来まして、私自身は思い残すことなく、その旅立ちを感謝と共に迎えることが出来ました。
24日早朝に病院から緊急連絡が入ってから、
約24時間後にちょうど父と母2人きりの時に母は旅立ちました。
私も一緒に看取りたかったのだけど、
さすがに娘も徹夜させる訳にはいかず、
父が何か変化があれば、すぐに呼びに行くからということで、家族控え室で休ませて貰いました。
でも、不思議なことにある時間パッと突然目が覚めたのです。
携帯で時間を見たら3:41分。
その後5分ほどしてから、父が呼びに来てくれたのですが、その時は息を引き取った直後でした。
たぶん、突然目がパッと覚めたのは、
母がその時間に行くよって、母が起こしてくれたのかもしれないなと思います。
母との最後の24時間。
私の人生で最も長く、
一生忘れられない大切な24時間となりました。
24日の朝、
病室の真ん前に大きな虹がかかりました。
その虹を見た時に、
あ〜もうすぐお別れなんだなと、
一生懸命呼吸をしている母の手を握りながら、
切なさ、悲しさ、
ありがとうという気持ち、
旅立ちを祝福する気持ち…
いろんな気持ちが混在しながら、
その虹を眺めていました。
母は表千家教授や書家でもあり、
日本文化をこよなく愛した人でした。
茶道の時はいつも着物をサッと着て、
お手前をしていた姿を思い出します。
母の最後の姿に紫色の着物と鳳凰の帯を着付けて頂きました。
着物姿の母はやっぱり母らしく、
最後の姿にふさわしいなと思いました。
今年2月に母が癌であることが分かり、
年は越せないだろうとは覚悟して過ごしてきましたが、やっぱり切ないものは切ないですね。
でも母を感じるととても軽やかで、
笑っているように感じます。
まだまだいろんな感情が混ざり合っては
湧いてきます。
一つの節目を迎えて、
私自身も以前にも増して自分の人生を愛し、
最高の人生だったと思えるような生き方をしようと改めて決めました。
来月は新しいアルバムのリリースやコンサートもいくつかあるので、また気持ちも新たにやっていきたいと思います。
虹はやっぱり天との架け橋なのかな。