皆さんこんにちは
今回は「エゴ」についてお話ししていきます。
私のブログに辿り着いた人は、少なからず「引き寄せの法則を使って素晴らしい未来を創っていきたい」だとか「望む自分に変わりたい」だとか、「波動を上げて望む現象を見たい」といった様々な理由があって、この現実創造論の情報に触れることで良き未来を創ってたいと望んで辿り着いている人が多いかと思います。
そして、この「引き寄せの法則」や「現実創造論」を学んで、波動を上げていくという情報に触れると、「エゴ」という単語を目にした方は少なくはないんじゃないでしょうか。
エゴというのは、前の記事でも書きましたが、自分の中に出てくる「不安」とか「焦り」とか「どうせ叶わないし上手くいかない」とか、何かに着手しようとした時に「上手くいかないのでは?」「面倒くさい」といったように、自分の心を重く暗くさせるような感覚のことだと私は捉えています。
(過去記事です)
この「エゴ」というのは本来の自分自身の本心本音ではないのですが、まるで自分自身の本音のように見えてしまうような思考の働きをするから、時として厄介な存在と感じてしまうものでもあります。
本来の自分に近い状態とは、「喜び」や「ワクワク」、「感謝」や「安心感」を深く感じていたりする状態であると添付の記事には書きましたが、ここに補足を付けるとしたら、「悲しみ」や「怒り」という感情も素直に感じている状態なんですね。
一見、「悲しみ」や「怒り」は重い感情だから本来の自分ではないのでは?と思う方もいるかもしれませんが、人には「喜怒哀楽」があります。
この「喜怒哀楽」全てがあって、本来の自分に近い自然な状態といえます。
そのため、「喜」と「楽」は良くても「怒」と「哀」は存在しててはいけないというのは、極めて不自然な状態なんです。
この「怒」や「哀」を感じる時、その感情を重いものと感じさせるのが「エゴ」の存在なんです。
例えば友人に、感情に触れるような腹が立つようなことを言われたとします。
その時、「腹が立つようなこと」を言われるわけですから、当然ですが腹が立ちますよね。
そこで多くの人は腹が立つ感情が湧き上がる事を自覚するので、「何故こんなこと言われなきゃいかんのだ!」とムカムカムカー!っとするわけですが、そこによく登場してくるのはこんな声じゃないですか?
「怒っちゃ駄目だよ」
「こんなことで怒るなんて大人気ないよ」
「怒ったら喧嘩になるよ」
「仲良くしてる友人なんだから怒るの良くないよ」
こんな感じの声出てきませんか?
そして、声という名の思考が出てきたら
「確かに怒るのは良くないな」
「怒ったところで大人気ないな」
「喧嘩になるのは嫌だから怒るのやめよう」
「仲良いんだし怒るのは良くないよな、我慢しよう」
と自分を鎮める(我慢する)体勢へ切り替えていくと思うのですが…
はい!この、「怒っちゃ駄目だよ」と囁いてくる声こそが「エゴ」なんです!!!
大抵の人は、この声を「エゴ」だとは思わないので、囁く声のように出てくる思考に従って何とか怒りをおさめようとするのですが、さっきも書いたように人には「喜怒哀楽」全てがあって自然な状態なので、例えであげたような「怒」を出さないで抑えて蓋をするというのは極めて不自然な状態になってしまうんですよ!
出てきたのに抑えられた「怒」というのは、一旦鎮むように見えますが、放出されずに自分の中に留まり続けるので、「帰って改めて思い出したら段々と腹が立ってきた」とか「なんか許せないかも」と思うようになっていって、極端な例えですが「根にもつ」といった感じで、いつまでもしこりとして自分の中に残ったままになってしまったりするんですね。
「怒」の感情覚えた時というのは、そのまますぐに感情を出してあげれば勝手に消えてなくなるのです。
怒るようなことがあって、そのまま滅茶苦茶怒りまくってたらいつの間にか「あれ?私なんでこんなに怒ってたんだっけ?」といつの間にかケロッとしてたという話をよく聞くのは、「怒」の感情が綺麗さっぱりと放出されたからなんですね。
しかし、「怒」の感情とと「エゴの声」は本来別物なのにそこで同調してしまうから、「怒りを抑える」ということがおこり、抑えた怒りは自分の心に蓄積してきますから、怒りっぽくなったりしてしまうのです。
「怒」の時、人はもの凄いエネルギーを使うので、それが頻発すると疲れますし、そこに「エゴ」が「怒るのは良くない」と囁いてくるわけですから、「この感情は見たくない」となるのです。
例えが長くなりましたが、湧いてきた感情の後に囁きののような思考として出てきては、自分の心を重くしていくのが「エゴ」の正体です。
私はこの数十年、感情とエゴは同一だと勘違いしていたので、そこに気づくまで振り回されてばかりでした(笑)
「エゴ」というのは、本当に心の隙に上手に入ってきては色んなことを囁いてくるんですよ。
自分の夢を叶えたい!
→どうせ上手くいかないんじゃないの〜?
→今まで上手くいったことないでしょ〜?
運動したい!
→でも動くの面倒じゃない〜?
→自分の時間も取られるし疲れちゃうよ〜?
これ食べたい
→食べたら太っちゃうよ〜?
これ欲しい
→買ったらお金無くなっちゃうよ〜?
と、こういう感じで私に囁いてきます(笑)
で、このエゴの声のもう一つ厄介なところが、波動が下がるような現象を見たときにも、心の隙間を見つけたかのように巧妙に囁いてくるんですよ!!
波動を上げたり整えるように日々過ごすようになり、面白い展開が起こり始めたと感じた時や、なんだか気持ちが上がってきたと感じはじめた時のあとというのは、その逆の波動の下を感じるような現象を見ることが多いのですが、その時にこれでもかと言わんばかりにエゴの声が強く囁くんです。
「やっぱり上手くいかないんじゃないの〜?」
「波動下がっちゃうよ〜?」
「元気にならないと叶わないよ〜?」
とか、とにかく自分の心を暗く落とすような思考が働きますが、これが「エゴ」の声です。
そして、その声に振り回されてしまい
「頑張って波動を戻さないと」とか、「元気にならなくちゃ」とか、「落ち込んでる自分は駄目」とその時の自分の状態を否定してしまい、無理矢理にでもコントロールして自分を上げようとし過ぎると、そこには「無理」が生じるわけですから、波動は下の域にいるままどんどん下がってしまうのです。
ここまで書いてると、「エゴ」が凄く悪者に見えちゃいますね(笑)
そうではないので、ここからは「エゴ」の存在を肯定してききましょうか(笑)
さて、この「エゴ」ですが、厄介で嫌な存在に感じてしまいますが捉え方を変えてみると決して嫌な存在では無いのです。
「エゴ」の存在というのは、本来の自分に戻すための重要なツールだからです。
自分の心が「快」を感じて軽やかな時というのは、本来の自分が優勢な状態なんですが、反対に「不快」を感じて重い時というのは「エゴ」の声が優勢な状態なんですね。
この「エゴ」の声が優勢な時というのは、本来の自分から遠ざかっていることを教えてくれる指標になります。
私は前半で、エゴについて散々な書き方をしましたが、驚くことにエゴというのは気付いてあげるだけで大人しくなって暴れることはないんですよ。
ここについては私も最近身をもって体感したので言えるんですが、本当に気付くだけでスッと退くんです。
気付くだけで簡単に退いてしまう程素直なエゴですが、そんな素直なエゴでも暴れる時はあります。
それは「エゴを押さえ付けようとしたとき」です。
これは、先述した「怒」の感情が湧いてきた時に似てますね。
このエゴというのは、「怒」の感情と似ていて、「出てくるな!」とか「邪魔するな!」とかと邪険にしたり、押さえつけて蓋をしようとすると暴れ出して何度も何度も「でも上手くいかないと思ってるでしょ〜?」と囁くように頻発して現れてくるんですが、「もしや君はエゴの声かね?」と気づくだけでびっくりするくらい大人しくなります。
そうなるとエゴの声が出てきても気づけば消えてしまうので、「今のはやっぱりエゴだったか〜🎵」とすんなりと流すことができるようになるんですね。
自分の中にある本音が隠れていて、それに気づかずに過ごしている時というのもエゴの声が頻繁に囁くことがあります。
願いを意図した時に「本当に叶うの〜?」とか「やっぱり上手くいかないんじゃない〜?」とか何度も出てくる場合は、エゴの声を邪険にするのではなく、自分の心にある本音を探ってみてください。
すると、
「叶わないかもしれない」という、「不安」や「恐れ」の感情が本音として自分の中で見つかったりします。
「不安」や「恐れ」の感情を見つけたら、否定せずに「不安に思っちゃう時もそりゃあるよね〜」とか「誰だって恐れはあるよね〜」と肯定してあげることで安心に変わっていきますので、何度か出てくることはあると思いますが、出てきたら根気良く肯定してあげてください。自然と出てくる頻度は減ってくるはずです。
「エゴ」というのは時として厄介な存在ではありますが、「本来の自分から離れてますよ」と教えてくれ、本来の自分が望む道筋へ戻してくれる羅針盤のような存在でもあるんですね。
なので、この「エゴ」を忌み嫌うのでは無く、捉え方を変えて上手に付き合えるようになると、実は自分の中のかけがえのない存在だったと気づくようになっていきます。
エゴがいてくれるから本来の自分に還れるし、エゴがいてくれるから本来の自分の目指したい方向が見えてくることもある…
このエゴと上手く付き合うというのも一種のスキルなので、はじめから上手にできなくても積み重ねていけば自然とコツが掴めるようになってきますので、是非試してみてください。
ここまで根気強くこの長文を読めた貴方なら、必ずできるようになります(笑)
この文章が参考になりましたら幸いです。
ここまで読んでいただき有難うございます。
ではまた