何となく、ピントが合わない。ぼんやりとおぼろげで、一体自分がどこへ行こうとしているのか、はたまた何をどうしたいのかをすぐに見失ってしまう今日この頃。
「ピントがずれた」と思っていてもオートフォーカスで焦点が合うときもあるし、そうじゃないときもある。花粉症のせい(?)なのか、単に疲れているだけなのか、オートフォーカス機能が壊れ気味・・・苦笑。こ~いうときは、あんまり無理にジタバタしないほうがいいのかな~? はたまたあえてジタバタしたほうがいいのかな~?
何となく、ピントが合わない。ぼんやりとおぼろげで、一体自分がどこへ行こうとしているのか、はたまた何をどうしたいのかをすぐに見失ってしまう今日この頃。
「ピントがずれた」と思っていてもオートフォーカスで焦点が合うときもあるし、そうじゃないときもある。花粉症のせい(?)なのか、単に疲れているだけなのか、オートフォーカス機能が壊れ気味・・・苦笑。こ~いうときは、あんまり無理にジタバタしないほうがいいのかな~? はたまたあえてジタバタしたほうがいいのかな~?
週末は土曜日に夙川公園、日曜日は大阪のうつぼ公園でBBQとお花見三昧。満開の桜はホントにキレイで、桜の開花を待ちわびていたわたしにとってはしあわせな週末だった。行き帰りに車窓からもあちらこちらに桜が見えて、川沿いや線路沿いに咲くピンクがとても美しかった。
春は桜だけでなく花がキレイで、事務所近くの商店街の入り口にある小さなお花屋さんには色とりどりの切花が並んでいた。仕事先からの帰りにふらっと立ち寄ったらピンクのスイトピーがかわいかったので思わず買ってしまった。1ヶ月くらい前の事務所開きの日に(今いる会社はこの3月から始動したばかりである)何となくお祝いの気持ちで買った花かごの花が少し前に終わってしまったので何となく殺風景だったので、何か飾りたいな~と思って。気持ち華やいだ感じがして嬉しい。うちの母もよく花を飾るが、そういうちょっとしたことがその場の空気に彩りを添える気がする。そういうことって何気ないことだけど大事なんじゃないかな~と思う。
このブログ初アップの写真は土曜日の夙川公園の風景。デジカメ持ってるくせに仕事で使うことばかりなんだけど、何かあったらちょっとずつ撮ってココにもアップしていきたいと思います!
よく人に、「何を考えてるのか分からない」と言われる。「何か話して」と言われると何を話していいのか分からない。この二つは根本で繋がっていて、“実はわたし、コミュニケーション能力が低い”ということに最近(遅いっ!)気付いた。
わたしは自分の思っていることや考えていること、いわゆる自分のホンネを人に話すことがものすごく苦手で、人の話は聞けるけど、自分のことを語ることができない。それでも何とかやってきたのは、わたしのこれまでの生き方を近くで見ていて、言葉にしないわたしの気持ちを水面下で感じ取ってきてくれた友達がいたおかげです。(みんなありがとう!)
でも、最近、きちんと大事にしたいと思う人からよく、「何を考えてるのか分からない」「何でもいいから思ってることはちゃんと話して」と言われる。でもそれをどう言葉にしていのか分からなくて、何を話せばいいのかすら分からなくて、分かってほしいと思う気持ちはあるのににそれを分かってもらう術が分からなくて黙り込んでしまう。何だか大事になればなるほど、話をすると自分の至らないところやダメなところばかりが浮き彫りになってしまう気がして、話して嫌われたくないと思う気持ちばかりが先行してしまって黙ってしまう。
でも、どんなに取り繕っても26年生きてきた今の“わたし”で語ることしかできないし、それでダメならしょうがないとある意味の覚悟をしないといけないんだと思う。例え今の“わたし”に何もなくても、今の“わたし”がしょうもなくても、そこから“わたし”を作っていかないといけないんだろう。
「ちゃんと話して」と言ってくれるうちに、ちゃんと話をする努力をしよう。それで「つまらない人だな」と思われても、きちんと話をしようと思う。黙っていて「分からない」と去られる前に。ホントのことを、自分の言葉で。「自分の言葉で自分を語る」・・・これがわたしのこの春の目標。
映画は邦画が好き。・・・というのも、洋画って、人の顔がよく分からなくなってくるから(苦笑)。たくさん人が出てくる洋画になると、よっぽど気合を入れて見ないと途中で意味が分からなくなってくる。
今日は借りていた「NANA」のDVDを見た。原作を読んでいないので、全くストーリーも知らないまま見たけど、何か登場人物みんな、素直でいいな~、と思った。まっすぐ、っていう感じがした。不動産屋の人が「他人同士が一緒に暮らすのはプライバシーが・・・云々」言った時にナナが「あんた寂しい人だね」って言って奈々と一緒に暮らすことを決めたシーンがわたし的にはものすごくよかった。何かちょっとした思いやりとか、相手のことを考えるとか、そういうことを普通にできる人間になりたいな~、と思った。(物語の趣旨とは多分大きくズレた感想なんだろうけど)今日からアニメが始まるみたいだけど、ちょっと見てみようかな~。
最近、仕事で商店街のお店を取材している。50年以上も続いていて、親から子へと商売が受け継がれているお店が多い。駐車場の完備された大型のスーパーに押され、商店街は全国的に下火になっていているが、取材している近辺も例外ではなく昔に比べると賑わいがないという人が多い。
でも、商いをしている人たちは一様に元気! おじちゃんもおばちゃんも、おにいちゃんもおねえちゃんもみんな明るく元気。そしてよく喋る。そしてそこに生まれ育ち、街のこと、店のこと、商店街のことを知り尽くした人たちにはその場所に根ざしたどっしりとした安定感があり、それぞれの持つ“物語”を感じさせる。
確かにスーパーで買い物をするほうが簡単かもしれないけど、「人が、人の作ったものを売る」という根本的なやりとりが商店街ではまだ行われていて、そうやって人同士のやりとりから生まれるカタチには見えないモノもやりとりしている“商店街”という場の面白さが失われていくのは残念だな、と思う。
昔はぶっきらぼうだった魚屋さんも最近は言葉遣いを丁寧にしたり、一歩入り込めばスーパーで売ってる魚みたいに調理もしてくれるらしい。「どうやって食べたらいいの?」と聞けば、調理法も教えてくれるという。それが対面販売のよさ。もっと地元の人に買い物をしてほしいから、そんな小さな努力を若手の店主さんたちはそれぞれに考えて取り組んでいるらしい。でも、そんなよさを伝えることがなかなか難しいという。
地域の小さな情報紙に携わる者として、そういうところを地域の人に伝える一端を担えたら、素敵なことだなと思う。もちろん様々な事情があってキレイごとばかりで媒体を発刊できないことも事実。だけど基本は「地域で生活している人の役に立つ、生活がちょっと楽しくなる情報を伝える」こと。どんなカタチであれ、自分の作ったもので誰かが喜んでくれたらいいな、といつも願う。自分のした仕事が知らない誰かの役に立っている、仕事ってそういうものじゃないかな、と思う。