いざって時だった社会人留学の話 | シンガポールで3姉妹を子育て

シンガポールで3姉妹を子育て

2013年4月から主人の仕事の関係でシンガポールに転勤、のちローカル採用に転職。ローカル中学校に通う長女とローカル小学校の三女、障がい児の次女の、3姉妹の日々の生活や子育てについて載せています。

明日はHari Raya PuasaでPublic Holidayですルンルン


シンガポールの祝日は前半に偏りすぎだが


3連休もうれしいけど、週の真ん中休みもうれしいね〜

今日のサーモスはネギとキノコとわかめのお味噌汁。全てチェックした三女はおーけーえーって感じで出かけて行った笑い泣き



























鉛筆鉛筆鉛筆


私にとってはいざって時だった


①留学

②家購入


の話のその①

今考えればそれなりにいい会社だったかもしれないけど


当時社会人になって数年目の私はいやでいやでいやでいやでいやでいやで仕方なく


よく夫に泣いて訴えてた笑。


かといって転職する能力も気概もなく


①社費留学制度に応募した


当時はそんな制度があったのですキョロキョロ




会社がしてくれるのは「留学費を会社に戻った後に後払いで出す」だけで


留学エージェントを使おうが何しようが自由でしたがそこらへんは含まれずに自費。


なので


出してくれない費用について自腹の分をアウトソーシングする気持ちは全くなく


留学先の大学を世界中のどこにするかなどから自分で決めてよく、そこを選んだ理由からプレゼンだった。


アメリカのVISA代は当時は大使館に電話してその日のレートで日本円での代金が変わるのを確認して自分で取ったし


大学との入学までのやりとりも全部自分。


当時zoomなんてないので、やりとりはメールと国際電話のみ。


渡米してから何国人と一緒になるのかもわからない寮では私は暮らせまいとひとりでアパート借りる契約も、DMV行って免許取るのも、車買うのも、全部個人。


当時すでに管理職だった夫が、社内応募の申請内容からアメリカまでとても助けてくれたから行かれたんだけど笑い泣き


でも夫が帰ってしまったらひとり暮らし。今より英語力がさらになく、ずーずーしさも少なく、奥ゆかしかった時だからねおいで


生活整えつつも社費なので、月一レポートが義務付けられており、Qごとに出される成績表も会社に提出しなきゃいけないし、


英語はできなかったけど大学の授業の内容が簡単すぎてこりゃダメだなんのために来たんだともっと難しいコースに変更したら、その他の生徒は英語使って働いてる世界中から来る社会人だったので、毎週ある発表が胃が痛くて毎週死にそうでした。


だって、ラテン語圏の人とか、来る必要あります?ってくらいペラペラだもの。まぁ彼らは英語を勉強しに来たわけではなく、その大学に経済を勉強しに来てたわけだが。



それでも


会社で働いてる時よりは勉強する気になれたし、留学費返してもらわなきゃいけないから笑、必死だったニコニコ





まぁそんな福利厚生は無駄と思われ、私が応募した翌年にはそっこーなくなり笑い泣き


その会社から最後の代の留学生でした。


今ならオンラインで英語も格安で習えるけど、そんな制度もなかった頃のお話爆笑




元ができないから「え?いまのそれで?」な英語力だけど


できないから勉強しに行ったわけだし


あの時やらなかったら一生もっとできないまんまだったし


帰国して取ったTOEICの点数じゃなかったら今就職できてなかっただろうしてへぺろ


そもそも夫がシンガポールに連れてこようと思わえなかったかもだし


別々に暮らすという選択肢がないわが家はそうしたらシンガポールにも来てなかっただろう。


人生必死に勉強する時が、少なくとも1、2回は必要だよねグッ


私の必死は大学受験と留学時だなあ


それを考えると今はだいぶボケっとしてるわガーン


と今さら気が付く🙊