仕事納め | シンガポールで3姉妹を子育て

シンガポールで3姉妹を子育て

2013年4月から主人の仕事の関係でシンガポールに転勤、のちローカル採用に転職。ローカル中学校に通う長女とローカル小学校の三女、障がい児の次女の、3姉妹の日々の生活や子育てについて載せています。

やっと仕事納め笑い泣き今年は長かった。。。




昔は5人で担当していた領域のかなりを


辞めた人の後任の補充がなかかったため(募集したがボスのお眼鏡に叶う人が来なかったタラーシンガポーリアンの給料高すぎる…)


現在2人で担当していて…


その上に


今年はイベント開催とかの突発プロジェクトがいくつかあり


タラータラータラー汗と鼻水垂らしながら働いてた。


無事?今年も仕事納めが来てよかったですニコニコ







長女妊娠時に産休を取って以来、育休→結局辞めると10年以上働いてなかったのに


2年半前にいきなりしかもシンガポールで仕事を始めました。


当時、


①P6(シンガポールでは生涯を決める大事な国試を受験する学年)


②万年リハビリと病院通い必要な障がい児


③14時終わりの幼稚園児を毎朝と昼に幼稚園まで送迎合計往復2時間


だった3姉妹を抱えてたのに


まあ今考えればほんとになんであの時いきなり決心したんだろう?と思う爆笑


夫もびっくりだったよ。そもそも私は働きたい人では全くなく、家にいたいと言って10年間専業主婦にだったので。


それが


被扶養者への労働VISAが無くなるという、それまで私には無関係だったシンガポールの環境の変化きっかけで


なにかに突き動かされたんだよね。


(その前にも個人ではいろいろ足掻いてましたが笑)




①は私が仕事してるかに関係なく家庭教師を雇い、有償の仕事してることに関係あるけど(つまりお金だニヤリ)オンライン塾も払い


②最初の3ヶ月の試用期間は年給の休暇はないので次女のリハビリと病院通いを調整し


③は2時終わり(迎えに行くために家を出るのは13時半)の幼稚園を辞めて、保育園に移ってもらった。本人、幼稚園にもう飽きてて、7ヶ月後にはその保育園も辞めることはわかってても転園にウキウキな素振りを見せてくれたのが幸いでした。




3ヶ月後からは、さぁ有給とれるぞと次女の定期医療通いでMLを取り始め


三女が小学校入学で13時終わりになっちゃうので、半年後には午前出社・午後在宅を許可していただき


そのまんま2年半勤務しました。




いきなり採用前面接で


・障がい児がいるので通院で定期的に休みます

・13時終わりの小学生がいるので午後在宅希望


はおそらく採用してもらえなかっただろうと思う。


面接の時にも


・ヘルパーいますか?

・いなくて幼稚園児含めて3人子供がいてどうするのびっくり


は聞かれました。そりゃ私でも聞くわ。


仕事と家庭環境は密接だもんね。家庭環境整わないのに、働くのは難しいから。


とはいえ、嘘ついたことはなんもありません。


言わなきゃいけないことを言わなかったわけでもなく


3姉妹の状況はお話した上で採ってもらい


状況変わったらその都度相談してきました。


あと


私のお尻はとても重たいのでチュー


「やらなきゃ」な環境に追い込んで、整えてきた。


仕事をしよう→そのために環境どうするか考えて整える。


これが


環境をどうするかを先に考えてたら


あーでもないこーでもないとおそらくいろんなパターンを考えて


さまざま考えすぎて


どれにでも全てに対応できるパターンなど考えつかず


あやっぱムリになってたことでしょう。


あと、私が完璧主義とか細かい性格、では全然ない爆笑ところがよかったのだと思う。


私は考えすぎても一歩も進まない、どころか後退しそうななので、


とりあえずやってみて、やってダメならその時考える、


以前お友達のお母さんから学んだことラブラブ


彼女は同じく3姉妹抱えてEPで単身で(お父さんは先に日本に帰った)シンガポールでフルタイムの研究者でした。


コロナより全然前なので、出勤当たり前の時の話。


かっこよくて、たおやかで、でも優しく、仕事しながら高学年と低学年と赤ん坊の3姉妹ちゃんたちだったのだけど


「ど、ど、どうやって?どうやって毎日過ごしてるの?笑い泣き」と対応策を1ミリも思い浮かばない私に


「うーん、まずやってみて。だめならその時対応策考える」と言ってた。


それを聞いて頭の固い私は雷に打たれたよ⚡️


それ以来、なんもやらずにあれこれ心配する前に、準備はしつつやってみる、やってダメなら対応策考える、(それでもダメなら引く)ってことにしてみた。


その結果が今だ。


ちゃんとした人から見たら改善点はたくさんあるだろうけど


「全てそこそこ」「なんでもそれなり」でもなんとかなってるよ、というのが私の毎日。


完璧な人はいるかもしれないけど


自分がそうなれるわけではなく


そう目指してるわけでもなく、


ただ家族のお腹を満たし


私のできる範囲内で家族の満足度をできるだけ拡大する、


エコノミカルとコスパの最大公約数ねらって、今年も1年働きました。




年の最後は疲れすぎてて、


かつ、やってらんないな気分になったけど


なんとか終わってよかったな。


そんな私の約2年半でしたニコニコ












 

さ。


仕事終わったので、遊んできますルンルン