今回は、独り言。
重い内容かも知れないので、苦手な方は閉じてください
私は長年の親との不仲から、ずーっと葛藤しながら生きてきた
40才になったとき、離れよう、と思った
もう、私でいられないから。
離れないと、苦しかったから。
離れたら、逃げられる、というわけも無くて。
やっとここ数年で、ニューロセラピーで
父母に対する思い込みを解くことが
できてきた。
あいつらが悪い❗️
あの人たちが悪い。と思って辛くなる時代は
去って行った
もう、あの葛藤で深く苦しんで、今がある
感謝しかない。
ありがとう
苦しみを体験できたから
見えてきたもの
乗り越えてきたものが、私にはある。
今、私は私が憎んだ親という者に
なっている
子どもや家族というものを、再び学び直している。
年上の友達が、以前私に
いつまでもお母さん、って呼ばせないんだよ。
さやかさんって呼ばせるんだ
といわれました。
私は、私を産んだ人という理由だけで、
彼女をお母さんと呼んだ。
お母さんというだけで、私は「お母さん」
のラベルを
母に貼って、お母さんらしくないと怒っていた
全然、お母さんじゃないじゃん❗️
しかし、自分がお母さんと呼ばれるようになると、やはり、子どもたちから、同じように
反発されたり、お母さん、を求められる。
しかし、やはり親子でも、個人。
色々なお母さんもいるし、色々な子どもがいる。
お母さん像も、やはり、色々。
母が亡くなってから、私はSさんと呼んだりする。Sさん、個性的で頑張り屋さん🎵
あの世なら、ラベリングもなく、気楽なのかな。
私は私だし、あの人はあの人
みんな大人だけど、子どもだし
子どもだけど、大人だったりして。
もうすぐ、母の七回忌が来る
大きな存在で、私にとっては、ジョーカーで
キングでクイーンな人。
母って存在は大きいな。
独り言でした。