【彼のこと】彼の訃報を知った経緯②~お兄さんの神対応~ | HARUの韓国逃避行旅行記(韓国留学を終えた平凡な会社員の今)

HARUの韓国逃避行旅行記(韓国留学を終えた平凡な会社員の今)

乗り物が大の苦手なのに渡韓歴は50回超え。
30代後半で韓国留学するも、トラブルに遭い留学中断→帰国→再度留学決行!
今は韓国語と無縁の会社員ですが、年4回以上の渡韓を維持するために小銭稼ぎに勤しんでます☆

~続き~

 

彼のカトクから返事があったのは、HARUがメッセージを送って約4時間後のこと。

 

ほんの一瞬だけ「ホッ」としました。

彼からの返信だと思っていたからです。

 

でも、メッセージは彼のお兄さんからでした。

(以下、要約)
兄:夜中の○時~○時に○○近くで交通事故に遭い、この世を去りました。
HARU:お兄さんですか?返事ありがとうございます。慎んで故人のご冥福をお祈りいたします。
なんと申し上げればよいかわかりません。
12月ソウルへ行ったら彼に会いにいってもいいですか?
兄:はい、兄です。慰労のお言葉ありがとうございます。弟のために祈ってください。弟に会いたければ私に連絡をくれれば場所をご連絡します。(お兄さんの電話番号)
HARU:必ず連絡します。ありがとうございます。
明日行けるかわかりませんが、今飛行機を調べています。病院にはいつまでいらっしゃいますか?
 ~ここまで~

彼のカトクはメッセージの量がすごかったらしいので、この後はお兄さんに直接連絡をしました。
そしてわかったこと。。。
 
ㆍ3日葬だと思っていたら2日葬だった。
ㆍ彼の出棺が早朝。
ㆍ成田-仁川は出発時間も到着時間も間に合わない。
ㆍ休みの前日で飛行機が満席。
 
夜中の飛行機で飛べばギリギリ間に合ったかもしれないけど、この飛行機もキャンセル待ち。
結局、葬儀ㆍ出棺に参列できませんでした。
 
お兄さんにも「来てくれる気持ちはありがたいけど、来ない方がいいと思う。HARUの知ってる弟の姿ではない」と言われました。
あと、既に私の精神状態がまともじゃなかったんでしょうね。家族にも止められました。
他にも理由はありますが、結論としては、一人での渡韓は無理だということ。
(空席があったとして)空港へ行っても搭乗させてもらえなかったかもしれませんね…。
 
 
今まで「ちょっとそこまで」の感覚で行き来していた韓国でしたが、こんなにも遠いと感じたことはありません。
遠距離恋愛というものを痛感させられました。
 
行かなかったこと、行けなかったことはこの先ずっと「後悔」として残ると思います。
それでも、なんとしてでも行けばよかった…と思うのは、少し落ち着いた今だから言えることなのかもしれません。
過ぎたことなので、この「後悔」は一生背負っていくつもりです。
 

 

出棺当日。朝7時頃。
(不謹慎かもしれないけど)テレビ電話で少しだけ彼の棺を見送れたこと。
ご両親許可のもと、お兄さんがテレビ電話をくれたのです。
彼の知り合いも、ほんの数分ですがライブ放送(?)をしてくれました。
ドイツ他、各国にいる彼の知り合いに配信していたそうです。
 
 
彼の葬儀に参列できなかった事を後悔しつつ、この日は韓国の方向を向いて何度も手を合わせました。

 

 

葬儀のことや親戚・知人への連絡でお兄さんも大変なのに、外国人のHARUにも変わらず温かく接して下さり本当に嬉しかったです。

 

 

 

彼と生涯を共にすることはできませんでしたが、沢山愛して愛されて…彼の人生のごく一部、HARUの人生においてもほんの一部ですが、彼に出会えてよかったです。

(↑横浜でのデート)
 

年末に彼と会う約束をしていましたが果たすことができないので、彼が眠る場所へ行って手を合わせてきます。

お兄さんにも会ってきます。

もしかしたら、止まった時間が動き出すきっかけになるかもしれないです。

 

~終~ 

 

 

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