久々に思い出して聴いたら、やっぱり懐かしく当時の気持ちも甦って10代の頃を思い出した。

 そのシンガーはカーリ-・サイモン!

 

 彼女の歌はなんと言っても『虚ろな愛(You're so vain)』まずは聴いてみて。

 

別れた男のことを歌っているんだけど、ま、その男はキザで、かっこいいから女の子の憧れの存在。

そんな男の彼女になって、彼女には「俺たち最高のカップルだ」と言いながら、捨て去るの。

日食があると言えば、車を飛ばしてそこまで見に行ったり、いつも居るべきところに必ず居る。

そうじゃない時は、スパイと一緒にいるか親友の彼女とよろしくやっているような男なのね。 

それに対して、彼女は「あなたはいっつも大切な物を捨てるのよね、私のことも含めてね」と揶揄するところが、いい。 

でね、男に、あんたってお馬鹿さんよね(私はYou're so vainの意味をこう解釈した)、この歌はあなたことだってわかるでしょ、でしょ(英語ではdon't you,don't you)というフレーズが入るんだけど、バックコーラスにミック・ジャガーが加わっているのがたまらなく好き。

 

その歌詞の前に、「私には夢があったのに、それはclouds in my coffeeだった」とあるんだけど、この意味がわからなくて、当時はグーグル翻訳もなかったし、何だろうと長い間、考えていたんだけど、ある時、ふと、そっかコーヒーの中に映っていた雲のことか、つまり実態がなかったということだと納得したことも思い出す。

 

女性シンガー①のヘレン・レディにしても、カーリー・サイモンにしても、当時の女性は何というか気骨があった気がする。男を愛するけど、媚びないよという隠れたメッセージがあったように思う。

 

あれから50年以上経ったけれど、女性たちはどれほど自立してきたんだろうか、と、残念に思うこの頃。

 

 

生きてきた人生より、残りの人生が短くなってくると、若いときのことをつらつら思い出す。

 

思い立って、’70年代のポップスを探した。

私は、日本で当時流行っていたウェットな音楽が好きではなくて、新潟の片田舎でFEN(極東放送)から流れる、DJウルフマンジャックおじさんが紹介する主にアメリカンポップスばかり聴いていた。たまたまクラスに同士がいて、二人で語り合った物だった。だから、Queenも同時代で聞いていて、もちろんボヘミアンラプソディーが収録されている『A NIGHT AT THE OPERA』や、Pink Flyodのアルバムもお小遣い貯めて買いましたね。

 

この70年代と言えば、いわゆるウーマンリブ運動がアメリカで盛んになっていた頃。

その女性たちの力強さを見事に歌い上げていたのが、オーストラリア出身のヘレン・レディ、タイトルも『I am woman(私は女)』

 

私は賢い、私は無敵、両手を広げて兄弟たちに理解させるまで決して諦めない!

というメッセージ性の強い歌詞。ほんと、当時ほれぼれしてよく聴いていた。

 

今またYoutubeで探して聴いてみたけど、う~ん、当時の熱気と女性たちの決意を思い出す。私も若い頃のエネルギーがよみがえる思いがした。

 

この力強さ、女たちは決して忘れてはいけないと思う。

是非聴いてみてね。この動画は画面上に歌詞がぐるぐると回っていて面白いのでお勧めです。

 

 

今日というか昨日3月6日は母の命日だった。

2022年に亡くなったからもう3年も経つ。

様々な事情があり、弟妹とは疎遠になっているので母の一周忌も三回忌も知らされず、いつも母の遺影に語りかけている。

お墓にも位牌にも亡くなった人の霊はいないそうなので、それより語りかければいつでも先祖の霊は来てくれるらしいので、時折語りかけている。

 

それで、命日だから毎年ケーキをお供えしている。

 

思えば、母は寂しい人生だったんだろうなと思う。

コロナのせいで、都内に住む私は郷里の病院に入っていた母とは1年8ヶ月会えないままの他界だったし、同じ市に住む妹さえ、月一回くらいしか会えなかったようだ。

 

2006年に父が突然亡くなってから、母は2年ほど一人で暮らしていたが、やはりもう限界ということで、生まれ故郷を離れて、私と東京で暮らすことになった。

最初こそ、父が亡くなってから初めてゆっくり寝られたと喜んでいたけれど、その後、大阪の大学を卒業して私の長男が、仕事が決まるまでしばらく同居させてほしいというので、長男が同居するようになってから母の嫉妬が始まった。

長男と母とで、私が作る料理が違う、仕事をしている私の帰りが遅いなどなど、あること無いこと、母の価値観を通して弟妹に愚痴るようになった。

あげくに、私の妹は長男がいるから母が辛い思いをしていると非難したため、出て行くことになったりした(このことは後に長男から聞いたのだけれど)。

合計2年ほど私と暮らしたが、あれやこれやで妹が母を近くに呼んで母も出て行ったが、すぐに母は、私と一緒のほうがよかったと嘆いていた。

 

母は幼い頃から祖父が母の姉の方を可愛がっていたため、愛着障害がすごくて、何をしてもいつも満足できなかった。母の子供の頃の家族写真を見ると、いつも母一人が面白くなさそうな顔をしている。

 

母は初婚だったが、父は母とは再婚で、最初の妻は、父のことを甲斐性がないと言って出て行った、つまり父は捨てられたのに、母は、最初の奥さんのことを父は気に入ってストーカーまがいのこと(これは母の言葉だから真偽は不明だったけど)までするくらいに気に入っていたのに、なんで離婚したんだろう、とか、まだ父が最初の妻と結婚していたときに、二人が桜で有名な公園を歩いている姿が忘れられないなどと言い出したのには驚いた。だって、その頃は、母は独身だったし、後に、父と結婚する未来を知らなかった時のことを言い出していたから。

要するに、母は、父からただ一人の女性と思ってもらいたかったらしい。それなら、もっと父を大事したらよかったのにと思った。

両親はよく一緒に旅行して、お金も母が自由に使えていたにもかかわらず、母はいつも父の愚痴ばかり言っていたから。

 

しかも、これは自分のことを注目してほしかったからなのだけど、妹には私の悪口を、私には妹の悪口を言っていたのだ。しかも、かなり事実とは違う形で。

そのため、弟妹との仲がうまく行かなかったりもした。

 

思えば、幼少時の満たされない愛情ゆえに、母はいつも愛をもとめていたんだろうと今ならわかる。

でも、愛とは人から与えられるものではなく、与えるものだと思う。

愛に飢えている人は、こちらがいつも大切に思っていると伝えても、行動で示しても、その場かぎりで満たされることがない。

だから、晩年の母はいつも、死にたい、死にたいと言っていた。それで、自分でタオルで首を絞めようとしたり、アンカのコードを切って首に巻いたりしていたみたいだが、そんなことで死ねるはずもなく。

 

そして、脳幹梗塞で入院してから、当時一緒に暮らしていた妹が面倒みられないため、ショートステイなどを転々として、最後は病院で亡くなった。

毎日、誰にも会えず母は何を思っていたのだろうか、私の孫、つまり母にとってはひ孫にあたる写真を見て、喜んでいたそうだが結局、会えないままだった。

 

でも、私が今、食に関するセミナーをやったり、手作り食品を作ったりするのは、母の影響が大きいと思う。

 

昭和30年代の新潟の田舎は、道路に馬糞が落ちていたり、お風呂は薪、お風呂場の石けんにはネズミが囓った痕があったり、おじいちゃんが飼っている鶏をナタで首をちょん切るような生活だったけれど、母は結構、いわゆるハイカラ(若い人には意味不明かもですが、ちょっと都会的でおしゃれという意味かな)で、よくおやつを作ってくれた。電気オーブンでケーキや、焼きリンゴを作ったり、ドーナツを揚げたり。

家族の多い家庭の家計を支えるために洋裁の内職をしている傍らだったのにね。

そのせいか、私も子供たちや孫に服を作ったりしているし、食事やおやつを作るのは大好き。

やはり、母の血を引いているのかもって思う。

 

五十肩やら、腱鞘炎やら、体の不調はあるものの、この歳まで出産以外入院したことはないし、もちろん手術したことがないのは丈夫に生んでくれた母のお陰かな。

 

そんなことを思いながら、母にお供えしたケーキを食べた。

 

お母さん、ありがとう、まだまだ頑張って生きていくからね。お母さんのお陰で、私の作るものはみんなが美味しいと言ってくれてるからね。

お母さんもあの世でお父さんと仲良くしてね。

 

 

数年前に苗木を買ったレモンの木。

 

去年の今頃、私が住んでいるマンションの外壁塗装のためにベランダの物をすべて撤去しなくてはならなかったので、娘の自宅のベランダにレモンの鉢をお引っ越し。

 

日当たりがいいベランダなので、レモンは葉を沢山つけて、花も沢山つけてたのに、風が強い日に花がみんな落ちてしまってがっくり。

 

でも、その後、また花芽をつけてくれたんだけれど、一安心したのもつかの間、やはりみんな落ちてしまって、なかなか鉢のレモンにたわわに実をならせるのは難しい。

 

しかも、どこから見つけるのかわからないけれど、2階のベランダにあるのにもかかわらず、アゲハチョウが次々と卵を産み付けて、エリック・カールの「はらぺこあおむし」が大好きな3歳の孫と一緒に焦げ茶色の小さな幼虫から何回か脱皮して青むしになるまでを観察して、さなぎになる前に虫かごに移して蝶になるのを観察したりしていました。

 

でも、それにしても、次々と卵を産んで、私はそれを殺すのが忍びなくて、4,5匹ずつ大きな柑橘類の木にこっそり移住させたりしました。

 

それでも、まだまだ幼虫がどんどん生まれて、葉っぱは穴だらけ。

 

で、肝心のレモンは、孫がちゃんと水やりをしてくれたおかげで、たった一つだけ実をつけてくれてようやく黄色くなりました。

明日あたり、孫と収穫しようかと思っています。尤も、孫はあまり酸っぱいものがすきではないのですが、お味はいかがかな。来年こそ沢山レモンが収穫できるといいな

。

 

今年初めてのブログです。

去年は、娘が第二子を出産したため、そのお世話と猛暑のせいで体調が思わしくなかったりして、ブログを書く気力、体力もなくほとんど更新せずだったので、今年は真面目に書こうと決意しました。

 

今年最初のブログは、またまた映画です。

2024年12月27日に公開された神山健治監督のアニメーション『ローハンの戦い』です。

何せ、ロードオブザリングが公開されてから、もうあの世界にはまってしまって娘と二回もニュージーランドに行ったくらいだから、たとえアニメでもこれは見なければならないと思っていました。

最近は、映画も上映期間が短くなっているので、早く見なくてはと思っていたので、今日、夕方の時間が空いていたので上映時間もちょうどよくて見ました。

 

アニメーターの娘が見たら聞いてみようと思っていますが、雪山などの実写にアニメを載せているのか、とても印象的な雪山、NZを思わせました。

また、映画に出てきたローハンの館がそのままアニメ映像にも反映されていて、懐かし気持ちも沸き起こってきました。

 

LOR三部作より200年前の世界とのことで、ミドルアースでのローハンと隣国との戦いなのですが、やっぱ男って権力欲だわねえ、何でそんなに争いたがるのかなって思いました。しかも、平気で民衆に嘘をつく。

で、悪は降参したように見せかけて、隙を突いて相手をやっつけようとしたり、民草のことより自分のプライドの方を優先するのは、権力に取り憑かれた男ってバカって思いました。忠臣の言葉を聞き入れませんしね。

 

ネタバレになるから書きませんが、この戦いの前に、男たちが全滅したので女性たちが戦ったということから、「盾の乙女」という名前の国があったということで、でも、その女性たちも全滅したんだという話が出てきますが、実は全滅していなかった、その生き残りの女性が後に判明するのです。

 

このストーリーでは、ローハンのヘルム王の一人娘が活躍するのですが、これからの女性の時代を象徴するような生き方をしています。しかも、武術も強い、強い。

でもって、大鷲も恐れずコミュニケーションをとっているんですね。

ローハンのヘルム王は、ちょうど「リア王」みたいに第三子である娘のことは評価してないのですが、上の王子二人を戦いで亡くして失意のうちに怪物のようになって、死の間際に初めて娘のことを認めるんですね。

今年からは女性の時代、女性が活躍する時代になることを彷彿とさせつよいアニメでした。

LOR三部作を見ていない方も、女性は必見です。

最近はあまり面白い映画もなかったので、久しぶりに最後は涙ほろりの映画でした。

女性たちよ、志を持って生きよう、と思える映画でした。