今日というか昨日3月6日は母の命日だった。
2022年に亡くなったからもう3年も経つ。
様々な事情があり、弟妹とは疎遠になっているので母の一周忌も三回忌も知らされず、いつも母の遺影に語りかけている。
お墓にも位牌にも亡くなった人の霊はいないそうなので、それより語りかければいつでも先祖の霊は来てくれるらしいので、時折語りかけている。
それで、命日だから毎年ケーキをお供えしている。
思えば、母は寂しい人生だったんだろうなと思う。
コロナのせいで、都内に住む私は郷里の病院に入っていた母とは1年8ヶ月会えないままの他界だったし、同じ市に住む妹さえ、月一回くらいしか会えなかったようだ。
2006年に父が突然亡くなってから、母は2年ほど一人で暮らしていたが、やはりもう限界ということで、生まれ故郷を離れて、私と東京で暮らすことになった。
最初こそ、父が亡くなってから初めてゆっくり寝られたと喜んでいたけれど、その後、大阪の大学を卒業して私の長男が、仕事が決まるまでしばらく同居させてほしいというので、長男が同居するようになってから母の嫉妬が始まった。
長男と母とで、私が作る料理が違う、仕事をしている私の帰りが遅いなどなど、あること無いこと、母の価値観を通して弟妹に愚痴るようになった。
あげくに、私の妹は長男がいるから母が辛い思いをしていると非難したため、出て行くことになったりした(このことは後に長男から聞いたのだけれど)。
合計2年ほど私と暮らしたが、あれやこれやで妹が母を近くに呼んで母も出て行ったが、すぐに母は、私と一緒のほうがよかったと嘆いていた。
母は幼い頃から祖父が母の姉の方を可愛がっていたため、愛着障害がすごくて、何をしてもいつも満足できなかった。母の子供の頃の家族写真を見ると、いつも母一人が面白くなさそうな顔をしている。
母は初婚だったが、父は母とは再婚で、最初の妻は、父のことを甲斐性がないと言って出て行った、つまり父は捨てられたのに、母は、最初の奥さんのことを父は気に入ってストーカーまがいのこと(これは母の言葉だから真偽は不明だったけど)までするくらいに気に入っていたのに、なんで離婚したんだろう、とか、まだ父が最初の妻と結婚していたときに、二人が桜で有名な公園を歩いている姿が忘れられないなどと言い出したのには驚いた。だって、その頃は、母は独身だったし、後に、父と結婚する未来を知らなかった時のことを言い出していたから。
要するに、母は、父からただ一人の女性と思ってもらいたかったらしい。それなら、もっと父を大事したらよかったのにと思った。
両親はよく一緒に旅行して、お金も母が自由に使えていたにもかかわらず、母はいつも父の愚痴ばかり言っていたから。
しかも、これは自分のことを注目してほしかったからなのだけど、妹には私の悪口を、私には妹の悪口を言っていたのだ。しかも、かなり事実とは違う形で。
そのため、弟妹との仲がうまく行かなかったりもした。
思えば、幼少時の満たされない愛情ゆえに、母はいつも愛をもとめていたんだろうと今ならわかる。
でも、愛とは人から与えられるものではなく、与えるものだと思う。
愛に飢えている人は、こちらがいつも大切に思っていると伝えても、行動で示しても、その場かぎりで満たされることがない。
だから、晩年の母はいつも、死にたい、死にたいと言っていた。それで、自分でタオルで首を絞めようとしたり、アンカのコードを切って首に巻いたりしていたみたいだが、そんなことで死ねるはずもなく。
そして、脳幹梗塞で入院してから、当時一緒に暮らしていた妹が面倒みられないため、ショートステイなどを転々として、最後は病院で亡くなった。
毎日、誰にも会えず母は何を思っていたのだろうか、私の孫、つまり母にとってはひ孫にあたる写真を見て、喜んでいたそうだが結局、会えないままだった。
でも、私が今、食に関するセミナーをやったり、手作り食品を作ったりするのは、母の影響が大きいと思う。
昭和30年代の新潟の田舎は、道路に馬糞が落ちていたり、お風呂は薪、お風呂場の石けんにはネズミが囓った痕があったり、おじいちゃんが飼っている鶏をナタで首をちょん切るような生活だったけれど、母は結構、いわゆるハイカラ(若い人には意味不明かもですが、ちょっと都会的でおしゃれという意味かな)で、よくおやつを作ってくれた。電気オーブンでケーキや、焼きリンゴを作ったり、ドーナツを揚げたり。
家族の多い家庭の家計を支えるために洋裁の内職をしている傍らだったのにね。
そのせいか、私も子供たちや孫に服を作ったりしているし、食事やおやつを作るのは大好き。
やはり、母の血を引いているのかもって思う。
五十肩やら、腱鞘炎やら、体の不調はあるものの、この歳まで出産以外入院したことはないし、もちろん手術したことがないのは丈夫に生んでくれた母のお陰かな。
そんなことを思いながら、母にお供えしたケーキを食べた。
お母さん、ありがとう、まだまだ頑張って生きていくからね。お母さんのお陰で、私の作るものはみんなが美味しいと言ってくれてるからね。
お母さんもあの世でお父さんと仲良くしてね。