またまた映画の話題。

 

しかも、結構古い映画です。Netflixで見るからなのと、公開された当時知らなかったり、あまり関心がなかったものを見たら、そこそこ面白かったりするのです。

 

今回は『マイ インターン』、アン・ハサウェイ演ずるところの急成長した通販アパレル会社の社長とそこに3年前に妻を亡くし、時間を持て余している70代のデ・ニーロがインターンとして入社するお話。

 

だいたい、往年のハンサムマンは歳を取ると、魅力が半減、うーん、かつての面影はどこへやら、という感じになる俳優が多いのが残念なんですが、たとえば、アラン・ドロンとかね。この間亡くなったデヴィッド・マッカラムはいい歳の取り方してたけどね。

 

デ・ニーロは、もちろん私が書くくらいだから、魅力的な男性になっていましたよ。高齢男性の魅力って、なんと言っても顔の皺ですよ、目尻の皺、例えばローリングストーンズのミックジャガーなんて、ほんと素敵な皺で一層魅力が増しましたからね。

 

そ、デ・ニーロもその例にもれず。

でも、デ・ニーロといえば、やはり『ゴッド・ファーザーⅡ』ですよね。あの悪役のイメージが強かったけど、ちょっと調べたら(間違っていたがごめんなさいですが)、彼は若い頃、ベトナム帰還兵の『タクシードライバー』といのもあったんですね。それで、Netflixにあったので見ました。なんと、ジョディー・フォスターが14歳の売春婦を演じて話題になった映画でしたね。最後が、ちょっとえっという終わり方だったけど、若き日のデ・ニーロ、やはり、左目が素敵ラブ

 

で、『マイインターン』に戻ると、最初は敬遠されていたんだけれど、気が利く彼の周囲の人もどんどん頼るようになって、恋愛問題を相談したり、社長は会社をどうするかまで相談するようになる。おまけに、彼はちょっと若い女性といい仲になって、一緒に暮らしたりもするんです。いいなあ、と思ったら、ジャック・ニコルソンとダイアン・キートン主演の『恋愛適齢期』と同じナンシー・マイヤーズが監督だったんですね。どおりで、見終わった後がハッピーになるわけだわ。

まあ、夢物語かもしれないけど、映画って見た人を幸せにするほうがいいに決まってる。ちょっと仕事がハードなので、最近は「ああ面白かった」と思えるような映画しか見たくないのです。

 

去年も11月に、1年近く前に公開されていた映画をまだやっていたので見ましたよ『RRR』ニコニコ インド映画だし、お決まりの歌あり踊りあり勧善懲悪の映画と思っていたら、もちろんハッピーエンドにはなるんだけど、1920年代のインドの植民地時代の話で、この頃から独立の機運があったことを知りましたが、白人の人種差別には酷いもんがあるな、とちょっと映画の選択を誤ったかなとも思いましたが、とうていあり得ないような身体の能力とか、いや、これ死んでない方がおかしいし、と突っ込みどころ満載でした。

 

またまた話がずれましたが、いくつになっても恋愛はできるし、若いもんはもっと高齢者に頼っていい、高齢者も若いもんを助けることが生きがいになるね、というメッセージも込められている映画でした。

現実はそう甘くないと思うし、私の周りには、こんなに素敵な歳の取り方をしている高齢者はいないけど、いいじゃないの、映画くらい夢を見させてくれたってと思う映画でした飛び出すハート

 

 

 

 

7月頃に下書きを書いたままで、中々投稿する気になれず、しばらく塩漬けになっていたんだけれど、投稿することにしました。なので、ちょっと時期的にずれているのですが、お許しを。

 

テレビは、ケーブルテレビのドラマくらいしか見ないので、巷のワイドショーを見てないからよくわからないけれど、ジャニー喜多川について、私が大好きだった(過去形になりました)山下達郎さんやデヴィ夫人が彼の音楽会への多大な貢献に対して恩知らずだの、それとこれとは別というような発言に私はどうしても違和感を覚えてしまう。

 

これは私の昔からの疑問というか、どうなのかということが常に頭の片隅あって、友人と議論したこともありました。

 

つまり、仕事や業績が有能であれば、特に性的に相手を蹂躙すること、基本的人権無視をしても許されるのか?

その有能さですべての悪事(たとえ法的に問題ないとしても、倫理的、人としてどうなのかということも含めて)を免責できるのか、ということ。

 

職場でのセクハラや性加害に遭う女性は、相手が上司だったり、仕事上尊敬できるとだったりすると、まさかそんなことをするはずがないという思い込みがあるために、はっきり拒絶できなかったり、逆に信じられない事態に頭が真っ白になって、被害に遭うケースが結構あります。

 

そう、女性はね、仕事上で尊敬しているからといって、その相手との性的関係もOKではないのです。

以前、どこかの統計で見ましたが、男性は女性が二人での食事にOKしたら、セックスもOKと勝手に思い込むパーセンテージがとても高くてびっくりしました。

 

女性からしたら、相手が上司だったり、いろいろお世話になっていたら、食事くらい一緒にしないと悪いかなって律儀に考えるんですよ。でも、それとセックスは別、絶対に別ですから。

 

で、話題を元に戻すと、私はたとえどんなに仕事上などで優れた業績を上げていても、女性を性的対象としか見做さないなら、その人とは縁を切りたい。一人の人の人格の中で、業績と倫理観に反することが同居しているだけで、私は尊敬することができないのです。

この場合の倫理観とは、いわゆる犯罪ではなくても、特に女性の好意を利用して女性を単に性的満足のために消費するというようなことを指します。もちろん、相手との同意はあったから、レイプではないにしても、それって、「好意」の搾取でしょうよって思うのね。

 

デヴィ夫人の意見に従えば、音楽界に優れた業績を上げた人物を糾弾するなんて恩知らずということみたいですけど、ということは、優れた仕事をしていれば、何をしても許されるということになりますね。私は絶対にそういう意見に与することはありえません。

 

だから、大好きだった山下達郎さんが、ジャニー喜多川さんのやったことは許されることではないけれど、彼の仕事はまた別というようなことを言っているのも、私的にはがっくりでしたね。

 

でもね、性的に蹂躙された女性を沢山見てきましたが、彼女たちはそのことによって長く苦しむんですよ。場合によっては、何十年も。

だから、強姦は魂の殺人と言われますが、どれだけの男性たちがそのことをわかっているのか。

 

男性が思うよりも、本人の同意なしの性的関係が性別問わずどれだけ被害者たちの心身を蝕むかを見ていると、業績なんてなんぼのものって思うのです。

多分、男性にとっては性的なことは大して重要なことと思ってないんでしょうね。

 

私もある親しい男性の友人に、一度くらい○○さんの相手をしてあげたら?(要は、私にアプローチしてるから、一度寝てあげたらってこと)と言われて、はぁ~(怒)って思ってこともあります。

 

よく、男たちは、「減るもんじゃなし」などと言いますが、それは間違ってます。

魂がすり切れるんですよ。普通の生活ができなくなったり、男性恐怖症になり、人間不信になるケースが多いことを考えると、一人の人間の一生を台無しにしてしまうくらい大きな影響を与えるのです。減るんです。

 

だから、性的なことでの基本的人権無視、つまり同意なしの性的行為を私は絶対に許せません、ましてや被害者が未成年の場合は、どんな言い訳もあり得ないというのが私のスタンスです。

 

ほんと、いい加減にしろよ、と声を大にしていいたい昨今です。

だから、2023年の7月13日から施行された不同意性交罪、とても心強いです。

 

男は、女性が仕事上での尊敬を本当に見事に自分への興味や好意と勝手にに思い込んでしまうことを女性たちはしっかりと肝に銘じるべきと思います。

 

近頃の、この件についての報道を見ても、どれだけジャニー喜多川が人としてあり得ないことをしていたかの認識が薄いんだなあ、芸能界もマスコミもってのが感想。

 

LGBTQ関連法についても言いたいことはままあるけれど、それはまた今度。

 

ちなみにこの件での論争は一切受け付けません。

 

 

 

エルビス

特に観ようとおもっていたのではなかったし、こんな映画があることも知らなかったんだけど、Netflixで『エルビス(2022年公開)』をやってたので、チラ見したら、主演の男優(オースティン・バトラー)の瞳に魅せられて、観てしまった。

 

エルビスと言えば、ドーナツの食べ過ぎで死んじゃったという噂と、音楽界に多大な影響を与えたアーティストというくらいしか知らない。特に彼の歌から影響を受けた記憶はないなあ。世代的にも、私より前だから、なおさらなんだけど。

 

初めは気がつかなかったけど、悪徳マネージャーのパーカー大佐を演じているのが、トム・ハンクスではないですかびっくり

役作りのために太ったのかもしれないけど、最初はこれ誰?と思うくらいだった。

プライベート・ライアンのイメージは微塵もなくて、うーん、やはり役作りは見事というしかない。

 

プレスリーの生い立ちや足跡については、沢山出ているからここでは書かない。

 

最初に思ったのは、エルビスもフレディー・マーキュリーと同じく40代で早逝していること。

 

フレディーが自分をパフォーマーだと言っていたように、プレスリーこそ、世界にパフォーマーという存在を認識させたんだなと思った。

 

私が思春期の頃から大好きになったロックンロールはまさしくエルビスから始まったことを改めて認識。

だから、日本では湯川れい子さんを初め名だたるアーティスト、海外でもビートルズ、もちろんフレディー・マーキュリーなどが絶賛している理由がよくわかった。

 

でも、公民権運動が始まる前のアメリカって、本当に、本当に黒人は差別されていて、その文化さえも軽蔑の対象となっていたのが、自由の国アメリカの実情だったこともわかってちょっとショックだった。

 

これは映画『イージー・ライダー』でも抱いた感想だったけど、アメリカの保守層って本当に頭が固いし、ものすごく排他的。だから、KKKなんかも出てくる素地があるんだわ。

 

そして、エルビスによって、女性たちが自分の欲望に忠実になって、好きなことには好きと表明できるようになったことは、女性の生き方を考える上で、私的には一番印象的だった。まあ、エルビスが腰を揺らして歌うのが、卑猥だと保守層の反感を買ったんだけど、熱狂したファンは止められなかった。

 

で、私がエルビスがすごいと思ったのは、もちろん、その才能もあるけれど、貧困層で暮らしながら、自分の好きなもの、わくわくドキドキするもの、それを偏見なく取り込んで自分の音楽と今までにないスタイルを作っていったところにあるのではないかと思う。

 

だから、彼は黒人の豊かな音楽性、神懸かったゴスペルなどに魅せられ、魂に響く音楽を自分のものとして取り込んで、ロックンロールを作り上げていったところにこそ天才性を感じた。

 

でも、彼について少なくともWikipediaを見る限り、彼も一時のフレディーと同じく取り巻きに翻弄されていたのも事実みたいだし、マネージャーのパーカー大佐に本当にすごい金額を搾取されて、移民でアメリカの永住権を持たなかった大佐が嫌がったためにエルビスは望んでいた海外公演は一度もできなかったし、ファンを大事にするあまり、離婚されて……。あ、でも離婚後はむしろ元妻のプリシラや娘とは親しくしていて、そこもフレディーに似てるなあと思った。

 

私が興味を持っている、身体の動きや整うことについてを今までにないやり方や考え方を提唱している人に共通しているのは、自分の感覚に忠実であること。

自分の身体が感じていること、良さそうと思ったら果敢に取り入れていること、回りの声やそれまでの考え方にとらわれず、実際に身体の動きが違うことを発見し、独自のメソッドを作り上げていることに私はいつも感嘆している。

 

天才とは、それまでの考え方や観念にとらわれず、自分の感覚に忠実であること、これにつきるのではないかと思っている。

 

理由はわからないけど、これやると楽しい、わくわくする、面白いって感覚を大事にする教育を学校でもすべきじゃなかろうか、などと、エルビスを観て思った私でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アベニーダブラジル

 

普段、民放のドラマは見てなくて、もっぱらケーブルテレビのドラマかNetflixをみています。シリーズもののほうが断然面白くて、毎週、もしくは連続放映を見ているのですが、去年オスマン帝国の『愛と欲望のハレム』が終わってしまったし、あまりに面白くて原作も読破した(でも日本語訳が最後まで出てない)『アウトランダー』も5シーズンをみおわったし、サバン症候群の外科医の話を描いた『グッドドクター』は新シーズンが始まったので週1の楽しみはあります。

 

でも、それよりも、今気になっているのが表題のブラジルドラマ。タイトルは主人公が住んでいた家があった「ブラジル通り」とか言う意味だそうです。

ブラジル映画なのに、字幕なのですが、どう聞いても、私にはポルトガル語ではなくスペイン語と思えるので、いろいろ調べてみました。

 

すると、なんと言うことでしょう、ブラジルで公開された時は超人気で、160話まであり、最終話の時はブラジル大統領選挙の演説があったけれど放映時間を避けたという噂までありました。

で、その160話を40話にまとめてインターナショナル版としてスペイン語で放映されているそうです。だから、今放映されているのはスペイン語で正解だったわけです。

 

人口では中国語を話す人が一番多いのですが、スペイン語を話す国は世界で一番多いそうですから、結構多くの国の人が見てるかもしれない。

 

ストーリーは幼い頃に、継母に父親の財産を乗っ取られ父も殺されてゴミの山に捨てられた女の子が成長して名前も変えて継母に復讐する物語ですが、そこに複雑な男女関係が入り交じったり、欲得で動く人たち、主人公の甘言にコロリとだまされる男たちなどなど、ストーリーテリングがほんと、巧みでドキドキわくわくハラハラしながら見ています。

 

それに、彼らラテン系の人たちの感情表現の激しさにまずは圧倒されますね。それと、結構すぐセックスして、それなのに、また元の相手のところに戻っても、そのことを非難しない、つまり、あっちににひっついたりこっちにひっついたりしても、あんまり揉めないのが日本と違うなあって感じます。

ただし、この映画は露骨はシーンは一切ないのもいいです。ストーリー展開が気になるので、省いているのが嬉しい。

 

見ている側は、誰が悪いことを画策しているか、主人公の正体ががばれないか、ひやひやしながら見ています。

 

私はちょっと韓国映画が苦手で、冬ソナも、愛の不時着も見てない。

あ、宮廷女官チャングムは見てましたけど。友人にこのドラマの話をしたら、韓国映画みたいだねって言われたので。

 

まだまだ20話が終わったところだから、ようやく後半にさしかかるので、ほんと、どう終わるか楽しみにでもあり、終わったら次何見ればいいか困るなあって思っています。

 

私は、LaLaTVで月~金に放送されているのを録画して夜、ご飯を食べながら見ています。

 

気になる人は見てね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずっとブログを書かないまま、コロナ禍の嵐が2年以上吹き荒れ、非科学的な感染対策にうんざりしている間に、欧米でも日本でも民主主義なんて嘘っぱちで、あっという間に中国並みに全体主義、独裁主義にオセロをひっくり返すように一瞬で変わっていく様に、この世界の先行きを憂いていた。

 

それでも、人は常に希望をもって生きていかねばならない。

だって、私ら女性は、長い間、差別や偏見と戦い続けてきて、諦めてはならないことを知っているから。

 

だから、今年は発信をしていこうと決めた。

その前に、去年の振り返りをしようと思う。

 

昨年の3月、母が享年98歳で他界。コロナのため田舎の長期療養型の病院に入院していたので、1年8ヶ月会えないままの別れだった。

だから、私が冷たいのかもしれないが、喪失感がほとんどなかったといのが正直なところ。

いつも死にたい、死にたいが口癖で、自分でタオルを首に巻いて死のうとしたりしたこともある人だったから、ようやく安らかになったと思っている。

また、母の葬儀に参列した弟妹や母の孫たちも、誰一人泣いていなかった。臨終の際も誰一人身内に看取られず、母は寂しかったろうとは思う。
 
それから、一ヶ月もしないうちに、母の名義の家を改築してカフェをやっていた妹が家事を出して、実家が全焼。本当に何も無くなってしまった。
 
だいたい、実家というものは物置代わりにしているので、大学の卒業論文、修士論文、必死で覚えたサンスクリット語の単語帳や格変化表、そのうち暇になったらまた勉強しようと思っていたのに、それも焼失。
 
毎月買っていた全集や山岸凉子や大島弓子や、坊ちゃんの時代などの漫画全集、フックスの風俗の歴史、確か、指輪物語もあったはず。
改築する前に整理した両親が若い頃の写真、父が8ミリカメラで撮ってくれた映像、娘も置いていたタイトルは忘れたけれど本もあった。
そして、いらないと言ったのに親としてすることだけは、といって作ってくれた着物なんかもあったなあ。
 
私は、母の晩年の5年くらい一緒に暮らしていたが、私が母の影響を一番受けてせいもあり、それだからこそ母と一番一緒に暮らしたくなかったのだが、それでも仕事しながら母の世話をしてきた。母を疎ましいと思っていたからこそ、母のことを思い尾出すよすがとして、何かあれば、母との記憶がよきものとして残っただろうに、母を偲ぶものが何もないというのは、記憶の引き出しを開ける鍵がないのと一緒。
 
まあ、それも運命と言えばそうなのだろうけれど、母は祖父が母の姉の方をかわいがっていたので、写真を見ても、母の子供の頃も面白くなさそうな顔をしていて、それが死ぬまで続いて、いつも「もっと私を見て」と言っているようだった。
 
母の強気の裏には常に寂しさが伴っていたのだ。だから、子供たちが心を尽くして母のことを思っても、それが母の心に響くことはなかったようだ。
今は父のそばで安らかでいるといいなと思っている。
 
傍から見たら、母は何でも好きなようにできたので、もっと自分の幸せに気づいてもよかったのにと思う。目の前の幸せに気づかない人は、どこまで行っても満足はできないことを思い知った。
 
母の姿を他山の石として、私は目の前の幸せを感じて日々を過ごしていきたい。
 
喪中で初詣も行けないので、今年は感謝と感激の一年にしようと決意した穏やかなお正月だった。