*あくまでも個人の考えです。


地頭ネタを書いていていつも思うことがあります。それは、

みんな、地頭の差をなめている

都会育ちの人ほど、人生の早い段階で「能力別」の「階級(クラス)分け」が行われるので、普段の生活で「地頭の階級差」の大きさに気付く機会がないように思います。せいぜい自分のいるクラス±1の3階級分しか見えていない…正確には、視界の中には存在しても理解できるのは、自分のいるクラス±1、と言いましょうか。

地頭の差(先天的な能力差)は、うーたんパパさんも似たようなことを書いていらっしゃいましたが、

ランク1⃣:地頭力1
ランク2⃣:地頭力10
ランク3⃣:地頭力100
ランク4⃣:地頭力1000
ランク5⃣:地頭力10000

くらいの差があると思います。1ランクの差が能力値10倍に相当する、まさに「桁違い」の差があります。
これに対し、「努力」の変動幅は

「努力」の変動幅:0.0~10
0.0:文字通り何もしない
0.1:心臓が鼓動する(無意識)レベルの努力
0.5:朝起きて布団から出るレベルの努力
1:朝、学校に行くレベルの努力
3:学校で皆勤賞がもらえるレベルの努力
5:心身に支障が出るレベルの努力
10:生活の全てを投入した極限の努力

くらいです。地頭の差が学力の決定的な要因であることを認めたくない人が、

学力 = 地頭 × 努力

みたいなことをよくおっしゃっています。努力が0ならどんなに地頭がよくても0だ、と主張したいのでしょう。
でも、このモデルに上記の「地頭の差」と「努力の変動幅」を適用すると、地頭ランク上位者が「1」でも努力したら、1つ下の「地頭ランク」者は極限の努力「10」をしてようやく同レベル、地頭に2ランク以上の差があったら何をやっても太刀打ちできない、ということでもあります。
「極限の努力」ができる人間はほとんどいないので、実質的な競争は、地頭同ランクの人間+さして努力しない(努力値1未満)地頭上位者の間での競争になります。

また、辛辣なことを書いておくと、中学や大学の入学試験は努力値5未満(できれば3くらい)で合格できる学校でないと、入学してからが大変です。

地頭ランク4⃣(1000)×努力値1(並)

みたいな人が山ほどいる環境に、

地頭ランク3⃣(100)×努力値10(極限)

で入ってしまうと、入学後に使うことのできる「努力の伸びしろ」がありません。地頭ランクが上の人間に一方的にボコられるだけの、コンプレックスを拗らせる学生生活になります。
私立中学での「深海魚」や、大学で「大学合格までの人」になる根本原因は、努力値5~10で入学してしまったことではないかと思います。

努力することを否定しません。
でも、その効果に過剰な期待はしない方がよい、と自分は考えます。


ご参考
中学受験に「熱望校」は必要ない
合格までの人
学歴ロンダリングの効果と限界