本稿は、以前書いた限定ブログ記事を、公開記事用に加筆修正したものです。

自分も田舎の県立高校を卒業していますが、高校在学中、田舎の高校で「お山の大将」「井の中の蛙」をやっていても意味がない、と理解できる程度の知能はあったつもりです。



*本稿は個人の主観100%で構成されています。
*田舎の「高偏差値」県立高校の「勘違い」高校生、卒業してもその気分が抜けてない一部の卒業生を容赦なくぶった切っています。そういう高校の出身であることを誇りに思っていらっしゃる方は、読まない方が良いです。



自分はそこそこ長く大学にいたので、学園祭のサークルの出し物、学科の出し物、オープンキャンパス、修学旅行生の大学見学のエスコートなどをする機会がそれなりにありました。
その時に、応対するのが億劫だったのが「田舎の進学校の高校生」で、無駄なプライドの高さ、「すでに自分たちが何者かになった」かのような振る舞い、その尊大な態度に、応対する他の学生と顔を見合わせて苦笑していました。
田舎の進学校の高校生の中で特にタチが悪かったのが「地域No.1進学校」「理数科」の生徒で、そのプライドは富士山を遥かに越えヒマラヤ山脈に比肩するほど高く、人数としてもそういう尊大な生徒が「たまにいる」ではなく「よくいる」感じでした。「こいつらは日頃どういう教育を受けているんだ?」と思いながら、自分は生暖かい目で眺めていました。

彼らは、中学校では学業成績も内申も優秀、高校も地元No.1か2くらいのランク、教員からも「お前らは凄いんだから頑張れ」みたいなことを言われ、勘違いする要素が山ほどあることは想像できます。
しかし、全国レベルで見たら学校の上位10%程度、甘めに評価して20%程度の生徒しか「優秀」とはいえないのに、自分の県より広い範囲での自分の立ち位置を客観視できずに思い上がっているさまは「井の中の蛙」という言葉が大変似合います。この点に関しては、東京都心部や阪神地区の生徒の方が、普段から「できる生徒」を沢山見て自分の立ち位置を理解しているので、謙虚です。この文章は取り消します。関西で、関西の公立高校→地元の国立大学→地元就職というご経歴の、ど田舎の役場職員並みに実力とプライドがミスマッチしている御仁(特に文系職)を少なからず見て、自分の実力の正しい認知は井戸から出ないとできないのね、と思うに至りました。

彼らは地元では他校生や理数科でない普通科の生徒を下に見ていたりしますが、残念ながら「高校入試までの人」(高校入試が人生のピークの人)も少なくなかったりします。それでも田舎だと「在籍している高校」「卒業した高校」を評価する価値観が残っていたりするので、それなりにプライドが保てたりします。

この「出身高校が評価される」価値観は、大学に行く生徒が少数で多くの生徒が高校卒業時に地元に就職していた、昭和の田舎の価値観なのだと思います。昭和も終わり、平成も終わったのに、いまだに地元でしか理解されない「高校のランク」でマウントをとっているような世界が田舎にはあります。でもこの際、はっきり言っておきます。

都会の進学校と田舎の進学校の差に比べたら、田舎の県立高校の高校間の差分など、無いに等しいものです。

自分のことを多少なりとも賢いと考える15歳なら、高校入試が終わったら「自分の学力の日本国内での相対位置」を考える頭を持って欲しいと思います。そして周りの大人も、勘違いや思い上がりを助長する「井の中の蛙」育成はやめて欲しいと思います。

参考