昨日、母の手術が都内の大学病院で
ありました。
コロナ禍なので付き添いも面会も
できません。
ちょっと前に実家に帰ったのでその時に
「頑張ってきてね」
とだけ直接伝えました。
 
誰かに頼ったりすることが
元々できない母ですが
「ママも頑張ってくるからね!」
と何度も言っていたのできっとかなり
不安だったのだと思います。
 
手術自体は命にかかわるようなものでは
ありません。
担当はその科のトップの先生らしいのですが
それでもやっぱり心配。
何が起こるか分からないですし
数日前に大切な友人が亡くなったこともあり
余計な不安が大きくなってしまいました。
 
なんでこんなに不安なんだろう・・・。
この不安の原因は何だろう・・・。
そう考えた時に出てきたのは
母がとっても大切だからという想いでした。
母のことが大切だから過度に心配なんだ。
つまりこの不安の原因は
私の母に対する想い、愛情から来ているんだ
と分かったらその不安が
すーっと和らいでいくのが
分かりました。
 
 
よし!そうと分かれば私の内側を徹底的に
安心感で満たそう。
そう思い、寒川神社へ行ってきました。
 
 
 

 

とても暑かったのですが、

緑のもみじがとてもきれいでした。

 

 

 

その中にある「八氣の泉」と呼ばれる場所は

私にとって瞬時に軸が整うところで

この場に立つと本来の自分の力を

実感できます。

 

 
ここにしばらく立っていると
ただただ心が満たされていく。
きっとそのエネルギーが手術する母に
伝わっていく
そうイメージしていました。
 
ひたすら自分の心を満たしていくこと
そこに集中しました。
 
 
考えてみたら20代前半までは
そういう考えではありませんでした。
例えば大学受験だった高校3年生の時は
好きなアーティストが出ていた
テレビ番組を断ち、
それを見なければ大学に合格できる!
という何の因果関係もない
変な自己犠牲を払うことで
目的を達成すると意気込んでいましたし
私が20歳の時に
弟が手術をしたことがあったのですが
家族で手術をするというのが
その時初めてだったので
心配で心配で
「5年間彼氏いなくていいので
弟の手術が無事に終わりますように」
と願掛けを当時はしました。
これもまた私に彼氏ができることと
弟の手術は何の因果関係もないのに
変な自己犠牲を払えば大丈夫という
謎のルールを信じていたようです。
 
それが変わったのは28歳の時で
一人でアラスカとカナダへ
6か月間旅に出たら
素敵な出来事がシャワーのようにずっと続き
それをただ浴びて心地よさに浸っていたら
それまで抱えていた問題が
私のいないところで
解決されていたことがあり
それ以来、謎の自己犠牲ルールは
消えました。
 
 
 
先程母から直接メールがあり
昨日は手術が3時間もかかって
その後痛くてメールできなかったけど、
今日は痛みが取れてきたよ
と連絡がありました。
 
本当に良かった!!
心の底から安心しました!
 
コロナ禍での手術は付き添いもできず
本人も家族も心配になりますが
医療がひっ迫している中で
こういった手術ができるのは
ありがたいことだと
母も入院する前に言ってました。
本当にそうだなって思います。
 
 
昨日は神社参拝の帰りに
母への退院祝いで色々買い物をしました。
母は物はいらない人なので
色々と体にいい食べものを集めました。
 
母の性格上、退院したら
また忙しく家事をやります。
具合が悪いときは父に任せればいいのに
それができません。
なので、食べ物を送って
買い物へ行く回数をできるだけ
減らしたいと思います。
 
昨日、買った分だとまだ少なくて
段ボールにすき間があるので
これからまた買い足しに行ってきます!