前の記事の概要

「みんなのためにはガマンするわって昼ドラヒロイン体質だった、ワタクシが

もっと自分を出していこうと決意したというおはなし」



で、就職活動中、OG訪問をした社員の方に言われたのが、


「もっと肩のチカラを抜いて、本来の自分を出してみたら?

今はきっと、そういう相手があまりいなくて、辛いと思う。

少しずつでも、自分を出していければいいね。

そして何か、自分を出せないと思うような原因となる出来事が

あったらそれを掘り下げてみたら?」


というお言葉。

ありがたやありがたや…

ナムアミー




YES、そうなのよ。

わたしは友達にも、「何考えてるかわからない」と言われるような

ミステリアス系。


初期の恋愛なら「ミステリアス」って有効かもだけど、

友人関係でそりゃーマズイだろう!!

わかっちゃいたけど、対処していなかったワタシ。




たしかに今、全面的に自分を出せているなーって思えるのは


家族、とダーリン、と、少々の友達(男のほうが出しやすいかも)くらいだなぁ




で、この人たちに出している自分(ウチ)

対外的な自分(ソト)


を比べてみると、圧倒的な違いがあるよね。



皆の意見をヒアリングしてみると


ウチ:

すげーオトメ

女子女子している

甘える

夢のスケールがでかい

ふわふわしてる

寝起きが悪い

かなり自分勝手

気分屋

オタク


ソト:

頼りがいがある

オカン

かなり気を遣っている

テンションが高い

アクティブ

交友関係が広い




…こんなに違うものですか!!

二重人格なのか。


はたまたツンデレなのか。


謎は深まる…


続く!!(のか)



自己分析で、ずいぶん前から気づいちゃいたけれど、

気づかないふりをしていた、自分の弱い部分と直接対決することになり。

だいぶ荒れ模様のちかごろのワタクシです。


むかしからそう、自分の欲求をすーんごくガマンするタチなのです。

その場がうまくいくならば、自分はピエロになったろうというか。

自分の欲求で誰かがガマンすることになるならば、わたしがガマンせな、と

なけなしの責任感を使ってしまう。


なんか昼ドラの主人公みたいよね、

ライバルにいじめられても

「あの娘も、ホントはそんな子じゃないの…ホントよ…」って言ってるような。

キモイ、肝すぎ。


そういうかたがたって

スゲーMなんやと思うわ…。

ガマンするのに快感覚えちゃう真性M。

女子で自称Mって言ってるやつもワガママ言えてるうちはMじゃありませんよ。

「こんなに言えなくて、我慢してるわたしが好き…」くらいの、

病的なかんじが真のMと呼ばれるべき存在なのですよ。


つまりわたしね。


でもね、そうやってガマンしていることは、自分が思っているより、

善き事でもないわけなのよね。

最初のうちは誤魔化せても、皆馬鹿じゃあないわけで、

無理して笑ってるのとかバレとんねん。

苦労の甲斐なし!!あっちゃー


つまり、ガマンしていることは良いとか、悪いとかなくて。

だから別にガマンしていてもいいんだけど。

ガマンしていることで、自分を出せないことで、

辛い思いをしているのならば、辛い思いなんてしなくていいっちゅー話や!


そもそもそもそも。

女子たるもの、辛い思いなんてしなくていいと思う。

自分がガマンしていることで感じられる快感なんて、

自分を解放することで感じられる快感の、幾千分の一な気がする。


女子はHAPPY感漂う、ちゅるちゅるふわふわしたもの、であるべきだ。


まー世の中の男には、幸の薄そうなオンナに発情するタイプもいるみたいだけど、

自分が狙う層っていうのはそっちじゃねえんだ。

(そういうタイプって、だいたいサゲチンぽいしね)




で、結局なにがいいたいかというと、

(思いの丈をつづりすぎて、一貫性ゼロのこの文章。校正ナシ。

勢いだけがウリですLOVE

自分はもっと、自分を出していこうと思った、という、おはなし

(森本レオ調に。トーマスを想定。)


長いので、次の記事に。