家族が思い描く「完璧な介護」が無理ならば | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

(1)「プロなんだから」と言われる

介護保険の歴史を紐解くと、少子高齢化、核家族化、DINKSなどのキーワードが出て来る。要するに介護というのは今まで身内が担っていたが、子供も親の面倒を見ることが出来なくなって生きており「社会で面倒を見る」という意味で創設されたのが介護保険である。

 

それまで介護を業として担っていたのは主に施設で、介護保険では在宅重視の方針が取られた。当時「ホームヘルパー・デイサービス・ショートステイ」が在宅三本柱と言われた。そしてそのサービスの統括としてケアマネがいたという感じだろう。

 

今でもそうだが、介護というのは何をしてくれるのかという疑問は尽きないし、ケアマネという職種が何者か分からないという人は多い。例えば家事が出来ないから生活援助を頼みたいという具体的な希望があれば簡単だが、要介護状態になって、これからどのような生活がしたいか?なんて言われても「元のように元気で暮らしたい」とか薄っぺらい言葉くらいしか出てこない。

 

つまり生活というのはそういうふわっとしたものが多いので、介護サービスにどれだけ期待をして良いものかは、具体的に希望がある人以外はよく分からないというのが本音だと思う。それでも「プロなんだから」と言われる事も多いというのもケアマネをしていて思う事だ。

 

(2)自分に置き換えると

それで自分自身が老後を迎えるにあたり考えることは死ぬことから逆算する。ちなみに55歳男性である。

 

死んだ後・・・海洋散骨を希望。

葬式・・・しなくて良い。死んだことの連絡も無用。

終末期医療・・・延命は希望しない。

要介護状態・・・自分で食べられないようになれば放っておいてもらって良い。

要支援状態・・・多少の運動はするが、穏やかに暮らしたい。この位から施設入所を考える。

自立・・・好きな事を出来る範囲で行う。

 

こんな感じになると計画している。個人的な希望としては、あまり人と接する事が好きでは無いので、デイサービスとかは行きたくないかなと思う。

 

だから私を担当するケアマネは、この方針に沿ってプランを作ってもらえば良い。

 

おそらくこういう事を何となくだが考えられるのは、こういう仕事をしているおかげとも言える。

 

実際に私の利用者でも、このような話になった時に「出来るだけ考えないようにしている」という人は意外と多い。それは死にゆく恐怖か痛みへの恐怖かは分からないが「死ぬのが嫌な事」とした場合にそれに向き合うのは恐ろしい事だろう。

 

つまりこれは介護云々の話では無く、生き方の問題だ。それはその人の魂からにじみ出て来るもので、誘導して話すものでもないだろう。

 

(3)介護側とすれば不完全な武装で戦場に行くようなもの

そもそも在宅介護というのは24時間介護職が家にいるわけでは無い。そして面倒を見ることの出来ない家族であるが、介護側には完ぺきを求める。それはプロとしての期待であり、我々も出来る限り答えるつもりでいる。

 

しかし介護保険制度は限られたサービスであり、家族の希望全てにこたえられるわけでは無い。つまり介護側とすれば不完全な武装で戦場に行くようなものなのだ。という事は「お互いの妥協」が求められるのが今の介護業界という事なのだろうと思う。

 

おそらく今の介護職に従事している人はそういう事情を知っている。誰でもクレーマーになりたくはない。しかし完璧な制度でない以上、介護職経験者であったとしてもやって欲しいこと全てが叶えられない。そうすると不満も出て来る。その不満を介護職にぶつけるというループは延々と続くであろう。

 

私の経験上、何もなく穏やかな人は介護側に求める期待も小さい。それだけ自分自身を持っている。おそらく介護職経験者はそういう人にあった事があるだろう。そうした事が自分の老後で人間関係を円滑にする学びになれば良い。