(1)介護保険開始当初を振り返る
そもそもなぜケアマネは自己負担が無かったのか、という所からは話さなければならない。
介護保険が始まる時、「そもそも介護って何をしてくれるの?」というのが一般的だった。その前からホームヘルパーという仕事はあったし、家政婦という人もいたから、「まあ、家に来て色々とやってくれるんでしょ」位な感覚だったのではないだろうかと思う。
それにデイサービスというものが始まったが、「老稚」と揶揄されたように、何をやっているか分からない。簡単に言えば日中、高齢者の面倒を見ることが出来ないので、食事・入浴を提供するだけでも家族としては助かるのだが、17時前には帰ってきてしまうので、仕事をしている家族は何とも中途半端なサービスと思っていたことだろう。
という事で、そもそも介護というのがサービスから見ると、ただの「何かやってる」位な認識であったとおもう。そこを包括的に、その利用者や家族がおかれている状況を鑑み、必要な支援を提案し、実際に活用できているかをマネジメントする役割が必要だった。それがケアマネだし、保険10割でケアマネの利用を促進するのは、こうしたケアマネジメントを周知する方向であった事は介護保険当初の考えだったと思う。
(2)ケアマネの存在意義は
それでも介護保険が始まった当初は「何でもあり」の状態だった。例えば要支援でも5000単位位は使え、これは訪問介護の生活援助にすると20回以上使えるという事に案る。つまり週5回ヘルパーが入って、家事援助をするという事が可能であった。
だから中にはヘルパーに家事をやらせて、高齢者本人は遊びに行ってしまうという事も実際にあったようだ。
つまり使えるとなれば何でも良い。そういう発想が出来る制度であったし、事業所の方も利用者確保、そして仕事量の確保という事になれば、それが過剰で不適切なサービスと思っていても、やらざるを得なかったという事もあると思う。
こうした事を踏まえて生活援助の回数制限や、要支援1については週1~2回しか出来ないような制度に変わっていった歴史もある。
しかしそんなことは利用者や家族からすれば関係ないだろう。そこにきちんとした説明をし、社会資源を確保する意味でもケアマネの存在は必要である。
(3)声高に言い続ける必要がある。
一方、例えば弁護士でも税理士でも、サービスを行えば費用が発生するという発想で、ケアマネにも利用者負担を課すべきだという議論もある。
出て来る発想は自由だが、お金を払うとなると「客のいう事を聞け!」とばかりの人も出て来るし、費用を払わない期間がある事を理由に契約解除できるようになる、つまりケアマネが利用者を断ることが出来る、もしくは利用者を選べるようになるという事もある。
この記事はケアマネが日本の介護保険にとってどれだけ必要かという事をまとめたものとして我が意を得た気分である。
やはりこうした事を声高に言い続けるととが業界団体の役割では無いだろうか。
