「清貧」の志 | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

(1)訪問介護の窃盗事件

私の自治体でも大手ヘルパーステーションの窃盗事件がテレビのニュースで取り上げられた事があった。表に出ないものを含めると相当件数に上ると思われる。

 

なぜ利用者は訴えないのか。

一つは「お世話になっているから」という気持ち。最近では特にヘルパー不足が言われており、「このヘルパーに断られたら、この家に来れるヘルパーはいない」という状況は多い。実際に私もそのように言う事もある。

 

二つ目は「証拠が無い」という事。

キチンと家計簿をつけている人ならいざ知らず、お金の保管についてはザックリしている人は意外と多い。そこでお金が無くなっても「気のせい」とか「どこかで使ったんじゃないの?」と言われると盗まれたことにも気付かない。

 

つまりは自分で盗んでも利用者のせいにする事は出来る。逆に利用者は盗んでもいないのに「ヘルパーが盗んだ」と言って関係が破綻する事もある。やはり利用者本人にもお金の管理はしっかりと行ってもらいたいというのが本音だ。

 

(2)教育で何とかなる話ではない

では何故ヘルパーが盗むのか?という事だが、思い当たるのは二つ。

 

一つは完全な「出来心」

盗んでもバレないだろうという気持ち。そりゃお金をむき出しに置いてあれば手を出したくなるのは本能みたいなものだ。

 

そしてもう一つは「貧しいから」

介護の仕事と言うのは他の業種に比べて給料が安い。訪問介護はみんな一応の資格は持っているが、人の本質までは変わらない。つまり貧しければ盗むというのは、そうしないと生きていけないという本能なのだろう。

 

勿論、そういう人ばかりでは無く、殆どのヘルパーは真面目に働いているが、こうした物心ともに貧しい人が一定数いるのは事実であろう。こうした人がいるから、多くの真面目に働いているヘルパーにも疑いの目がかけられるというのはしょうがない事だ。

 

つまり安く雇える人と言うのはこういう事を念頭に置かなければならない。教育で何とかなる話ではないという事が分かるだろうと思う。

 

(3)清貧とは

こういう話を聞くたび「清貧」という言葉を思い出す。意味は「お金がなくても、心まで穢れることのないように、清く正しく生きる。」という事である。

 

しかし貧乏な生活をしたことがある人なら分かるはず。特に現代のように物があふれ、周りが贅沢をしている様子を見ると、いくら「清く・美しく」と言ってもそれは綺麗事に聞こえてしまうという事を。

 

特に福祉の仕事と言うのはこうした綺麗事であったり、奉仕精神を求められることが多い。

 

まあ、国民の約6割が貧しいと答えているアンケートもあるようなので、つまりは国民のすべてとは言わないが多くの人が貧しさを実感しているという事だろう。

 

そもそもであるが「豊かさが何か」を分かっている人自体がいないというのもあるだろうと思う。それは物質的な豊かさ、レジャーの楽しさとではなく、例えば歩いていて感じる風の心地よさとか、日常の静けさから感じる穏やかさとか、「生きている」実感そのものを指す。

 

もしかしたらこういう問題は日本人が失った「心」なのかもしれない。