(1)話を聞いてもらいたい人は
ケアマネのアセスメントと言うのは随分と細かいところまで聞くようになっている。それこそ生まれてから今までの生活歴、収入、家族関係などセンシティブなことまで聞く事もある。場合によってはその人のプライベートに土足で上がるように感じられる事もあると思うからこちらも気を遣う。
しかし聞かれる方はさほど気にしていないように思える人が多い。学歴や仕事の事を聞いてもしっかり答えてくれる。勿論、それを悪くとらえて「ケアマネにあれこれ聞かれた」と言いまわる人もいると思うが。
というのも愚痴であったり自慢話を話すという事は、自分を認めてもらいたいという承認欲求があるのかもしれない。それは夫婦げんかしている場面でも「自分の方が正しいんだ、相手が間違っているんだ」という事も含む。つまりはそういうことを言う人の寂しさをどこで解消するかという事なのだろうと思う。
(2)視点の違いにより
逆に話が短い人の特徴というのは無駄な話は一切しないという事。現実に起こっている事のみで話をする人である。実際に訪問看護がそういう傾向にある。事実だけを淡々と述べ、それに対しての対応をテキパキと行う。
よくケアマネと訪問看護との軋轢の話は研修などでも良く聞く。ケアマネからすれば訪問看護は我が強いし、訪問看護からすればケアマネの仕事は緩く映る。それは医療の現場では命が最優先されるわけで、視点や手順が違うのだ。多少、荒っぽくなったとしても優先すべきは命であるという事なのだろうと思う。
対してケアマネとは生活の中での援助者であり、周辺事情を勘案しての支援が求められる。
一例をあげると、痰吸引の利用者がいた。放っておくと痰が硬くなってしまうので、家族としてはネブライザーでゆるくしてから痰を取ればスムーズに取れるというのだが、訪問看護はそんなことを言っていられないとばかりに、口の中が血だらけになろうと強引にでも痰を吸い出す。利用者の方も苦しそうにしているが、医療の優先順位はとにかく命を守る事で、看護師はその信念に従っていたのだと思いたい。
つまり現実に起こっている目の前の事を対処する視点と、周辺状況をみて最適解を図る視点の違いであると思う。
傾聴についても同じことが言えると思う。
目の前の事象についてすぐに対応策をぶつけるのも方法だし、ゆっくりと話を聞いて最適解を提示するのも方法だ。どちらが正しいわけでもないのだ。
(3)問題を解決する気のない人には
逆に利用者から「あなたは話好きだから…」と言われたこともある。こちらとすれば嫌々話を聞いてやっているというのに、利用者からは逆に話を聞いてやっているという態度で来られるてこちらのせいにされるとは・・・イラっとするが、向こうにすればそれも自分を保つための心の持ち方なんだろうと思う。
とにかくこういう場面と言うのは自分軸で物事を考えるとドツボにはまる。
色々と言ってくるのは利用者側に課題があるだけで、その課題を解決する気があるか無いかも向こうの問題である。
だから問題を解決する気のない人があれこれ言うのは時間の無駄である位には言っても良いのかもしれない。