(1)教師を目指していた時期があった。
既に失効してしまったが実は私は教員免許を持っていた。
やはり学校の先生というのは憧れた。まず頭が良い。知らないことを名でも知っている。そして大人になっても慕われる先生というのは子供にとって大きな影響を与えたんだと思う。
そして先生の側も子供の成長を見ると嬉しいものだろう。問題があっても、大人になって立派な姿を見ればその苦労も報われるというものだ。
やはりそこには愛がある。
そういう環境で働きたいと思ったから教員免許を取ったというのもある。
しかし教育実習で触れた学校というのはそんなに簡単なものでは無い。教育とは無縁な派閥、部活などの課外活動などで疲弊する先生など、そういう面を見れば学校という限られた生活の場ではなく、生活の場そのもので力を発揮したい、そう思って福祉の道に入ったというのも私が今なお介護の仕事をしている原点になっている。
(2)様変わりした学校
果たして私が学校を卒業して30年、学校の状況は様変わりした。
生徒に対する体罰も厳しくなり、その体罰の範囲というのも拡大し、先生の権威はどんどん失墜していった。
更にテレビで「体罰をしたことが無い。生徒は分かってくれる」という教師経験者が出ることによって、「体罰をする先生の方が能力が無くて悪い」という風潮を生んだ。
その結果、授業中に走り回る生徒を席に押さえつけただけで身体拘束と言われる時代になってしまった。
もはや学校の体をなさない。
勿論、昔の学校や塾がよかったというわけではない。
詰め込み学習や偏差値教育、本来であれば学ぶという事は喜びであるはずなのに苦痛でしかなかった。
だからあの頃に戻りたいとは夢にも思わない。
今の子供たちが「あの頃に戻りた」という学校であったなら良いけど、走り回って授業を妨害する学級崩壊の学生時代に戻りたいと思うとは思えない。
(3)私なりの提案
今後、こういう無法地帯と化してしまった学校の改善策はあるか。本来なら文部科学省がもっと教師の立場を挙げ、多少の厳しさは擁護する立場にならなければならないが、それは無理というものだろう。
となると方法は二つ。
今の先生は担任の仕事として学級経営に特化し、授業はオンラインで人気のある先生の講義のみにする。もしくは先生は授業だけを行い、学級経営は外部に依頼するかだ。
この記事を含めてだが、教師は処分されることを恐れている。教育委員会や保護者会での弁明というが、やり玉に挙げられ、針の筵に晒されるだけだ。
教育に意欲も持っていればいるほど、その情熱は強い。その人なりの思いもあれば、生徒にきつく当たる事もあるだろう。また、生徒を突き放せばそれはそれで問題。
なので外部委託にはこうした危機管理の会社員にするというのはどうだろうか。既に都会では部活動は外部コーチを雇っている所も多い。その発想であれば他の業務を外部委託するのもありだと思う。
ハッキリ言えば学校は危機である。それを脱し、学校の先生が昔のように憧れる仕事にするにはこのようなテコ入れも必要だと思うのだが。