(1)福祉の世界は魑魅魍魎とした世界
ケアマネ不足の解消に「準ケアマネ」とか「大学で専門課程を設置して卒業と同時にケアマネとして働ける」などの案がある。さらにはケアマネの合格率を上げる、今のケアマネの持ち件数を上げる(低減性)までやっている。挙句の果てには施設ケアマネの資格不要論まで出る始末。もはや戦争末期みたいに動けるものなら猫も杓子も、という状態である。
それで記事のような学卒者のケアマネ取得のアンケートは記事の通りであるが、コメントを見ても賛否両論で特にこれという意見は無い。賛成論は学卒者は社会経験は無いが知識はある、人格にも優れていて、むしろ実務経験者の方が使えない奴が多いという意見。否定論はやはり社会経験の問題を挙げる。
まあ、人不足という観点からすれば、どうやって人材を(しかも質が高い)確保できるかという事だから検討は必要である。しかし福祉の仕事というのは真正面からぶつかればかなりのプレッシャーがかかる。福祉というのは人の生き方や幸福といった価値観に寄り添う人間学であるが、人と人との利害に影響するドロドロした魑魅魍魎の世界だからだ。
(2)尊敬する友人の話
私の大学の友人で、ものすごく勉強する人がいた。とにかく読書家で本の重みで部屋が傾くほど。そんな彼は頑張って大学の時に国家資格である社会福祉士を取得し、卒業後は地元の役所や地域包括支援センターで働いていた。
実はその彼はもうこの世にいない。
東日本大震災の前の年に急逝したようだ。その時だが、たまたま年賀状を出し忘れて、他の人から彼の急逝を知った。一度墓参りに行きたいと思っていたが、その東日本大震災で彼の実家もろとも流されてしまった。
そんな彼のブログを見ることがあった。
ある時「結果として家族を壊してしまった。」という投稿があった。
例えば高齢者がいるとする。その高齢者は住み慣れた家にいたい。しかし家族は面倒を見ることが出来ないから施設に入ってもらいたいという希望があったとする。お互いの利害関係に一致が見られない時、最終的にどちらかが自分の意に合わない結論をすることになる。
「壊してしまったことはしょうがないのだけど。自分は知識はまあまああるが経験はない。決断するにも迷う時がある。しょうがないとはいえ後味の悪い結果だった」みたいな、うる覚えであるがそんな感じだったと思う。
福祉の仕事というのは、たとえ知識があっても理詰めで話が進めわけではない。最適解でない答えで結論づけることもある。その時に彼のように自責の念に駆られ、人によっては自分の限界を感じて仕事を辞めてしまうという事もあるだろう。
(3)人の役に立つという事
私自身も限界を感じたり、結果として「ダメだったな」となる事もある。それでも続けているのは知識や経験と共に鍛えられたからだろうと思う。
相談しようとする相手はどういう人が良いだろうか?
私だったら頼りがいのある人に相談したいと思う。具体的に言えば、何かあった時にすぐに動いてくれる人だ。
人の成長というのはおそらく「やる気」という種があって「知識」という肥料を与え、大きく強く育てて「動く」という刈り取り作業が必要なんだと思う。だからこの一つでも欠けたらダメ。
どんなに知識があっても動けない人は役に立たないのだ。きちんと動けなければ相談業務というのはただの便利屋になってしまうのだ。
つまり学卒者にこれだけのことが出来るのかという事だ。勿論、失敗や悔しい思いを重ねて鍛えられて後に大輪の花を咲かせられればそれに越したことはない。しかしそこまで耐えられるかな?という事だ。
やれるものならやってみるが良い。