春女苑 ~新年度に向けて | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

春を迎えるにあたり沈丁花の香りが漂う中、いつもひっそりと咲いている春女苑。花言葉は「追想の愛」

 

私にとって春と言うのは希望の季節というばかりではない。

それは例えば受験という、新たな自分への登竜門への乗り越えるべき過程において成功したりしなかったりという事があったからだと思う。

 

それは中学受験、高校受験、大学受験といずれも第一志望の学校に入れなかったということも言えるのかもしれない。それまで自分なりに努力していたのが報われなかったという挫折が、春を希望の季節と思えない、疲れ果てた状態で迎える季節という事になってしまった。だから「希望に胸を膨らませ・・・」という春は迎えたことがなかったと思う。それは唯一達成感のあった大学入学の年もそうは変わらなかった。つまり私にとって春は巡る季節の一つという認識しかなかった。

 

しかし大学の4年間というのは、嫌なこともあったが楽しい時期であったことは間違いない。しかも東北という初めての地は、その季節ごとの匂いや風の心地、そういうものが都会よりもリアルに感じることが出来た。

 

初めての東北の冬は東京の人間にとっては厳しいものであった。東京でも毎年のように雪は降るが、やはり比ではない。そうした冬を過ごしていると、春の訪れが待ち遠しくもなるが、本当に春は来るのかと疑う事もある。

 

寒い冬には春の温もり思い出せず

疑ったり 迷ったり 心は弱いものですね(「春女苑」さだまさし)

 

それでも春は確実に訪れる。

そしてキャンパスには新しい人が、希望に胸を膨らませ、しかし所在なさげに佇む風景を繰り返す。

 

大学を卒業してから30年以上もたった。

良いことも悪いこともたくさんあり、事実として私はここに存在する。

あの時に感じた事、見た風景などは事実としてそこにあり、思い出として心に存在する。あの青春時代の輝きは忘れたくはないシーンであろう。

 

そんな時代を回顧するのも善し悪しだが、季節の変わり目はそんなことを思う。

 

生きて行きます私 どこかで支えてあなた

春風に 糸遊に 咲いてるのはあなたですね(「春女苑」さだまさし)

 

明日から4月。

今年の東京は3月に入って雪が降る珍しい年である。

 

東京にも春が来た。