(1)やりがいのある仕事ではあるが
介護を含め、福祉の仕事全般に言えることは給料が安い、汚い、休暇が取れないなどの3Kとか5Kとか言われる過酷な仕事の割には報われないという事。それを「やりがい」という目に見えない、実体のない成果を期待して働く・・・そんな感じなのだろうと思う。
勿論、それがあるから私も30年あまり福祉の仕事をしているわけだが、それは例えば今の状況のようにほかに収入減があって、「福祉の仕事はライフワーク」程度の位置づけだからやっていられるという事は事実だと思う。それは運が良かったという面が大きいが、そういうスタイルを目指した結果という事も言える。
ハッキリ言えば私はこの仕事を失っても食う事くらいはできる。それに会社に上司がいるわけでもないから、自分の判断で利用者にも強く出ることも出来る。こういう環境を作らない限り、福祉の仕事は苦しく感じるだろうと思う。
やりがいだけでは生活はできない。
私は介護の会社を経営していて、一つの目標が「会社の給料で生活できる社員を育成すること」だったが、殆どそれは叶わなかった。それが残念だが仕事というのは生活ができる給料をもらえなければ意味はない。やりがいだけで腹は満たされない。
(2)福祉職の評価とは
日本の福祉は「中負担・高福祉」と言われる。
国民の負担は中くらいで、福祉サービスのレベルは高いと言われている。それは介護職員の献身的な仕事ぶりがそのような評価がされてきたのだろう。
それに昔から「福祉は奉仕」という発想もあるのか「福祉の仕事をしているのは良い人」と清廉潔白に見られることが多い。極端に言えば「低収入でも文句を言わず、人がやりたがらない面倒なことも積極的に引き受けてくれる人」という評価だ。
だから介護職員が声を上げると「大変だね~」とは言うが何か助けてくれるわけでもない。更には「他の仕事も大変なんだから」とか「そういうことは分かってて勤めたんでしょ」「嫌なら辞めればいいじゃん」と突き放す人もいる。
おっしゃる通りである。嫌なら辞めるのが一番の方法である。
議員に訴えても、自分の票にならない声は聞こえない。だから議員にとっては票にならない介護業界の声なんてどうでも良いのだ。
(3)要求はキリがない
介護職員を増員するとなればお金も必要になる。つまり「どこまで」充実させればよいかはキリがない議論であるとも言えるのだ。
高齢者もどこまで面倒を見てほしいか、という事は本当に限度がない。本当に手厚い介護を受けたいというのであればそれなりの出費をしなくてはならないだろうが、それだけの資金を持っている人は殆どいないし、自分の出費や抑えたい。それだけの負担をすることを「損をさせられる」という高齢者は意外と多い。
だから高齢者にも介護職員にも「今の状態で我慢しろ」と言いたいのが本音なのだろうと思う。
(次に続く)