(1)暴力、暴言は当たり前にある医療・介護現場
福祉の仕事をしている人ならば、高齢者でも障がい者でも大なり小なり利用者から暴力や暴言を浴びた経験がある人は多いだろうと思う。例えそうでなくても高圧的な人や、一緒にいて不快になる人は利用者でもいる。勿論、介護者側が許容できるかという事もあるが、そうした「利用者が介護者を不快にさせる」という事は、臭い物に蓋をする用にスルーされてきた。
場合によっては利用者が暴力をふるうのも介護者の方が悪いと言わんばかりに、「振り返り」と称して介護者側の落ち度を徹底的に糾弾する。高齢者虐待の研修でのグループワークの発表では、「介護者側の○○的虐待だと思いますう~」みたいな発表をしないと収まらない雰囲気がある。
客商売で言えば、客の意見は100%正しいという飲食の経営者がいた。そして「お客様は神様」という言葉が独り歩きして、客は何をしてもいいんだという論調になってしまったというものは、やはり民度の劣化というものだろうと思う。
(2)患者は客(カスタマー)ではなくペイシェント
医療・介護の現場は少なくとも「病気を治す」とか、「介護サービスを受けて清潔な生活を送る」などの目的がある。
だから以前は医師や介護者は「病気を治してくれる偉い人」であり、「生活上お世話になる人」である。いずれも「頭を下げれる偉い人」という感覚であり、顧客感覚が薄かったと思う。医師が「先生」と言われるように、私もケアマネをしていて「先生」と言われることもある。
だからいくらお客様意識が強くなった現代においても患者・利用者は客(カスタマー)ではなく患者(ペイシェント)なのだ。
医療や介護を受ける方も、「病気を治す」「安心した生活を送る」努力をしなければならない義務がある。100%サービスを受け取るだけではない。
そういう現場において、記事のような事件は起こる。おそらくどこの病院や施設でも、こういう人は数人抱えて頭を悩ませている。
暴力をふるう側にも理由はあるだろう。
治療の痛みによる苛立ちや、それこそ職員の態度というのもあるだろう。だからと言って、その怒りを職員がぶつけられて良い理由にはならない。
(3)もはや警察案件
これは認知症の人にも同じことが言える。よく「ヘルパーが財布を盗んだ」などと言って、挙句の果てに見つかっても謝りもしないというのはよくある話だ。つまり介護職員も言われっぱなし、傷つけられっぱなしなのだ。
記事のような看護師も、やられっぱなしで耐えるしかない。泣き寝入りをしなければならないのが医療・介護の現場なのだ。
おそらくこういう問題を起こす側は「やり返してこないだろう」という気持ちがどこかにある。やり返してこない相手には安心して暴力をふるえるし、上手くいけば自分のわがままも正当化され、受け入れられる。
ハッキリ言って、話して納得できる相手ではない。職員の本音とすれば、やり返して良いのであればやり返したい。
現在の法制度は、そこに関わっていない人が適当に作ると言っても過言ではない。自分が殴られるわけではないから、医療・介護職員が傷ついても何とも思わない。
もう、医療・介護職員が傷ついても、その理由を職員に向けるのはやめませんか?
介護でも看護でも、殴られた側の心の傷が癒えるような環境を作って欲しいと思う。