世の中、そんなに力のある人はいない | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

(1)ドラマの話

最近、ショート動画のドラマにはまっている。ストーリーとしては経済界の大物である身分を隠して婿入り結婚し、その奥さん一族の傲慢さをやっつけるというものっぽい(全部見ていないから分からない)が、若い人が見たらこういうストーリーって準リアルに思うのかもしれないし、もし自分がこのドラマの主人公だったら面白いだろうなと思ってしまうのだ。

そのストーリーの中で、大規模な商談の席で、決まりかけていたパートナーをめぐって、その御曹司の鶴の一声で決まってしまうシーンがあるのだが、世の中、そういう事が出来る人は実際にいるのだろうが、それは就職活動する一般人の世界では関係ない。

 

(2)威張ったところで

私の経験談を二つ。

私は今の仕事の前に営業職として働いていたが、上司(経営コンサルとして外注した人だった)とそりが合わずに退職した。その時にも小さなトラブルがあり、その時に上司は「自分のいう事を聞かなければ、就職活動に支障をきたすぞ」と脅しをかけてきた。

結果としてだが、私は起業し今に至り、そのかつての上司はやらかしで会社を辞めただけでなく、経営コンサルの仕事も失ったようだ。

 

そしてこれは我が社のケース。

雇っていた人間が嘘をついて会社を辞めて、他の会社の面接に行ったらしく、前職照会があった。私はあまりよくない勤務態度をキチンと話した。その面接がどうなったかは分からないが、まあ、おそらく何とかなっているだろうとは思う。

 

つまり、一声で動かせる人間なんて、ハッキリ言えば私のレベルでも聞いたことが無いのだ。

 

ハッキリ言えば、ちょっとした国会議員だって、そんな事は難しいだろう。もしできると知れば経済界のドンみたいな人で、おそらくそういう人は我々が知る事も出来ない。

 

(3)欲から抜け出せないけど

人は出世欲とか、成り上がりとかというサクセスストーリーを追っているうちは、こんなちょっと偉い(と思う)人に会うと尊敬したり、怖く思ったりする者だろうが、ある程度の年になると、そういうのもどうでも良くなるものだ。

 

そもそも経済界のドンとか重鎮というのは生まれた時からそうであって、一代で成り上がるなんていう事はそもそも夢物語だ。ましてや雇われの身で「俺はこんなにすごいんだ」と言っても、何か滑稽に見えてしまう。それが定年で再就職する時に、自分が何もできないという事すら気付かずに。「私は部長が出来ます」なんて頓珍漢な面接をする人になるのだろう。

 

就職に限らず、だがやはり人は求められるところに身を置くほうが良い。それは一度や二度、就職に失敗したからと言って無くなるものでも無いし、失敗しながらも成長して、そこで出会えるかもしれないのだ。

 

記事のようなケースはご縁が無かったという事ではなく、あなたが働くべき所では無かったという事だ。

 

人は、そんなに偉くないから。