(1)結婚すれば女性は苗字が変わるのが当たり前の時代
「お願いがあるのよ あなたの名字になる私」の歌いだしで始まる「部屋とYシャツと私」。私が学生の時の歌だからもう何十年も前の話だが、当時は結婚すると基本的には旦那の名字になるのは当たり前の時代だった。それに抵抗を感じている人はいたとしても声に出すことは無かったように思う。
それはお見合い・恋愛結婚に関わらず、結婚というのは嬉しい事で、同じ苗字になる事で「家族になる」という意識もあったと思う。
ところが最近は自分の名字が変わる事に抵抗感を感じるらしい。しかもそれが結婚しない理由に挙げられているとの事で、政治問題にもなっているという。
(2)苗字を考える
夫婦別姓論者がよく言う事
①女性は結婚すると苗字が変わり、銀行口座や様々な手続きが面倒。研究者などは論文が旧姓のままだと別人になってしまう。
②今の苗字の制度は明治以降でそんなに時間も経っていないので、制度を変えたっていいじゃないかというもの。
③今回の夫婦別姓問題はあくまでも選択的なので、そうしたい人はすればいいし、同性にしたければそれでも良い。つまり別姓制度を取り入れたとしても損する人はいない。
などなど
まあ、言わんとすることは分からなくはないが、今は通称使用も拡大し、様々な場面で旧姓のまま出来るようになっているそうだ。
つまりはファミリーネームは旦那側の苗字で、奥さん側の旧姓は通称使用でそのまま使えるというようになっているという事。
しかしそれでは納得がいかないらしい。
苗字がどちらかにすればよいので、奥さん側の苗字にすることも可能。よく「江戸時代は・・・」なんてことを言う人もいるが、江戸時代だって養子に行けば奥様側の名前になるのは当然の事である。
女性が苗字を変える事を強制されるのは差別だという声もあるようだが、そういう考えなら旦那に苗字を変えてもらう事も現行でも可能なのだが、そういうことは聞こえないらしい。
(3)家制度自体が壊れていく
日本は「家」というものを重視する。「家系」として受け継いでいくという考えがある。それはやはり祖先からのつながりを重視し、未来に受け継いでいく「永遠の命」のようなものだろう。
だから結婚というのは言えと言え同士が行うものであり、相手側の家柄を気にする人も多い。それが理由で破談になる場合もある。
しかし最近は個人と個人の合意のもとに結婚は行われるという考えになっているようだ。
逆に言えば、家柄を、と主張する声が小さくなったわけで、それだけ日本の名家といわれる家が少なくなってきたという事なのかもしれない。
夫婦が別姓なのは自由かもしれないが、子供にとっては強制的別姓だよなと思う。中には全然気にしないという声もあるようだが、同じ名前を名乗らないでも家族としてやっていけるというのも、なんか取ってつけたように思ってしまう。
それにしても、恋愛結婚であれば同じ名前で生きて生きるという事は嬉しい事じゃないのかな?と寂しく思ってしまう自分は時代遅れなのだろうか。