腰の軍刀は竹光か | ケアマネ時々卓球、時々その他

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(1)10歳の子供が殺されても

日本人の子供が中国で殺された。

何の罪のない10歳の少年が命を奪われたのである。

 

これに対して日本政府は遺憾の意を表明するも、中国側は「どこの国でも起こりうる事」とし、この事件後すぐにSNSの監視体制に入り、この事件が拡大しないようにしているという。

 

そんな中、日本では自民党の総裁選挙の真っただ中である。9人もの立候補者が出ているが、この事件の受け止めを聞かれた時上川氏「ある意味で許されない」、河野氏「ネトウヨがワーワー騒いでいる。外向けに騒げばよいと言いうものではない」と、どうも事件の重大性を感じていないように受け止められてもしょうがないような話をしている候補者がいる。

 

自分の子や孫がこのような目にあったらどう思うのだろうか。

 

とても冷静ではいられないはずだ。

 

(2)歴史は繰り返す

日本が大陸へ進出していたころ、同じような事は各地であった。今のように治安も良くなく、ましてや国境付近ともなればパルチザンもいる。

日本軍も駐留はしているが、一つ間違えば戦争へと発展しかねない。そして上層部の指示が無ければ動くことは出来ない。

そこで出た言葉が「腰の軍刀は竹光か」「関東軍は刀の抜き方を忘れたか」という言葉である。

 

民間人にしてみれば何のための軍隊か、今で言えば何のための政府かという事になる。

 

自分たちを守ってくれない政府って、いったい何なんだという憤りに震えているのである。

 

さらに言えば日本は対中国に強い行使をしていない。

逆に中国は日本への旅行者や在留者に注意喚起を行っている。今回の件で日本の対中感情の悪化が懸念されるというのが理由だ。

 

これは先に日本がやるべきなのではないか。

少なくとも警戒レベルを引き上げる必要があるのではないかと多くの評論家が語っているが、まさにその通りと思うのである。

 

(3)強気に出れば良いというわけではないのは分かるが

歴史を振り返ると、日本は戦争をしないように我慢に我慢を重ねてきた。日清戦争の前でも、長崎で暴れた中国人の処遇を巡っていざこざがあった。この尼港事件や様々な事件でも、戦争にならないように細心の注意を払ってきた。その限界が越えた時に泥沼の戦争に引きづりこまれたのだ。

 

数名の候補者の言うように強気に出れば良いというものではない。今なお中国には多くの日本人が駐在、もしくは観光している。政府の軽はずみな行動でこの人たちが危険にならないとも限らないのだ。

 

政治家のお偉い先生が中国の要人に会っている時も、難癖をつけられた日本人が拘束されている。

まずはその人たちの解放、保護が先決だ。

 

しかし力関係で劣るというのは惨めなものだ。

そんな中でもしたたかに生き、主張を通させる能力が欲しいものだとつくづく思う。