結婚のスタイルはその国によって違う | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

(1)部屋とYシャツと私

「お願いがあるのよ あなたの名字になる私・・・」で始まる「部屋とYシャツと私」。結婚する前に聞いてほしい事を並べる女の子の気持ちを歌った歌。私が大学の時の歌である。

 

結婚して名字が変わる。

それは女の子にとってみれば一大覚悟であるし、一生「添い遂げる」気持ちでもあっただろう。

勿論、離婚するなんて考えもしない。

そうした事が根底にあったと思う。

 

(2)結婚は家と家のつながり

どこの国でもそうだろうが、結婚というのは「両性の合意に基づく」とはあるものの、家と家のつながりは発生する。それを良しとするか否とするかは人によるが、基本的に身近な人が増えるという事は助け合いの精神からも悪い事では無い。

特に孫が出来たら、おじいちゃん、おばあちゃんは二人ずつになる。孫にとっても自分を受け入れてくれるところが多いに越したことは無い。

 

昔は結婚したら旦那の実家に入り、複合家族が当たり前だったのが、現在は核家族が中心である。

お互いの親の所には、わざわざ休みを使って行かなければならない。

当然、普段から一緒にいない人には気を使う。

 

よく「嫁姑の問題」が取りざたされていたわけだが、これが本当に女性にとって苦痛の根源であったかは分からないが、少なくとも良いものとはとらえれらない記事しか見たことが無い。

そんな前情報しか知らなければ、結婚して旦那の実家に入るなんて言うのはとんでもないという事になるだろう。

 

(3)結婚のハードル

今話題になっているのは「選択的夫婦別姓」や「同性婚」などであろう。

 

個人的に否定すべきではないと思うが、我が国の結婚の在り方は男女どちらかに姓を合わせ、家と家のつながりを持つという事だろうと思う。そして子供を産むという事は、この国の未来を創るという事である。

 

そうしてこの国は古来から現代まで受け継がれてきた伝統でもあり、国を維持する唯一の方法なのだ。

 

それを様々な理由をつけてその基本に乗らないというのであれば、それはその人の責任で行えばよい。

 

そうするとよく「作りたくても子供が出来なかった」と反論する人もいるが、それは男女が結婚したという事で、例えば年金の第三号のように配慮される事で、何もないわけではない。

 

そして「多様化」という言葉をよく聞くが、それはベースがあってのものであるから、個人のレベルで好きにすればよい。

何か問題があるなら、個別に解決方法を探ればよい。

 

家と家のつながりが希薄という事は、話し合う機会も減るというものだ。当然、離婚する夫婦も増えるだろう。

 

苗字も変えなくて良ければ、それだけで離婚のハードルは下がる。

 

多様化という言葉の中に、今までの日本の在り方を否定し、日本人らしさをも失うものを含んでいると思う。