「戒め」という事 | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

 

(1)「心無い事」」で人を傷つけても良いのか

最近特に思うのは色々と「自由」になってきたという事。悪い事ばかりではないが、眉を顰めるような事も多々ある。

例えばトークでも言葉を「自由」に扱い、言いにくい事もズバッという人も増えてきた。しかし人を傷つけてもどうでもいいと言うばかりに「心無い事」も平気で言うような人も増えた。

 

(2)「不倫」で傷つく人がいる

「不倫は文化」といった芸能人がいたが、まず不倫というのは良いのか悪いのか?ということである。

よく見かけるのは「自分の不倫はロマンス、他人の不倫はダメ」という身勝手なものだったり、旦那が構ってくれなかったから寂しくて不倫をしたという自己正当化であったり。

まあ、恋愛自体は自由と言いたいのかもしれないけど。

逆に不倫は不法行為に当たるからダメというガチガチの法律論で来る人もいる。

では、そもそも不倫はしてはいけない事なのか?という事。

人は「我(自分)」と「他(他人)」がいて、その関係の調和が求められている。自分さえ良ければ良いという考えは調和を欠くものである。だからそこにはルール(戒)があり、それを守ることにより調和が保たれる。

 

(3)「戒める」という事

例えば交通。

誰もいない時に信号無視をする。誰も見ていないからいいじゃないか、と思うものである。でも誰が見ているか分からないからルールを守る。ルールを守るという事は堅苦しいものでもある。逆にルールを守らなければ、それは楽な世界でもあるが同時に事故多発で争いの多い所にもなる。

ルールがなぜあるかと言えば、それを守らない事により問題が起こり、それで悲しむ人がいるからである。だから破らないように「戒める」事が生き方として必要である。

今の日本はルールが緩んだ、もしくは屁理屈をこねまわしてるようなものだと思う。勿論、不必要なルールもあっただろうが、何でもかんでも自由、自分さえ良ければ良いという考えは、その内に他人の悲しみさえどうでも良いという考えに至るのだろうと思う。

 

(4)日本人らしさとは

不倫という事だが、やはりそこには「戒め」がある。もしかしたら最初は妻子がいると知らなかったかもしれない。それでもその妻子を悲しませることになれば、それはその加害に加担していることになる。

やはり「日本人らしさ」というのはこうした「戒め」を理解しているという事だと思う。そうした事も理解せず、コンテストに出ても、それは美しさとは言わない。だから「不倫した女性はミス日本にそぐわないわけですか?」という問いには「戒めのない女性はそぐいません」というのが答えになると思う。勿論、禊が終わり、世の中から「もう、昔の話だよね」となれば別だが。