敬語の使い方、あれこれ | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

昔話で恐縮だが、私が学生の頃は先輩後輩と言うのが殊更に言われる時代だった。大学などは「1年虫けら 2年奴隷 3年人間 4年神様」と言われた。だから下級生というのは今の時代から見ればひどい扱いだったし、それだけで好きなスポーツも嫌いになり、嫌な思い出しか残らないという人もいただろうと思う。

最近は先輩後輩の壁も無くなり、と言う話もよく。それはそれで悪いことばかりではないが、同時にけじめをつけないとか馴れ馴れしいとうことも起こりうる。

 

某サッカー選手が、海外では「敬語はない」から使う必要がないという事をテレビで言っていたことがあった。

日本独自の文化が海外で使われていないからといってそれを否定することは随分おかしい話だと思うが、先輩後輩の上下関係に嫌気がさしていた人にとっては都合の良い意見だっただろうと思う。

 

日本語というのは尊敬語や謙譲語、丁寧語など、相手によって言葉を使い分けられる器用さがある。

 

敬語とは相手を敬うという第一義的な使い方が原則である。相手を尊敬しているがゆえに言葉使いが丁寧になる。

 

そしてそれは同時に相手への距離感を保つという事であり、相手との壁を作るという事でもある。

だから距離を置きたいと思う人には敬語を使うというのはありである。


そうしてみると日本語というのは外国語に比べて、使う言葉によって立場の違いを表すことのできる言語だという事もわかる。国語の理解はそこにあるという発想で、苦手かもしれないが古文にも取り組んだら面白いかもしれない。