腰越状に思いを馳せる。 | ケアマネ時々卓球、時々その他

ケアマネ時々卓球、時々その他

仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

私は子供の頃から塾通いが多かった。決して自分から望んでいた事ではない。強いて言うなら言わされていたという事になると今では思う。当然、成績は上がらない。「やる気あるのか!」としょっちゅう言われた。そりゃあるはずがない。でも「無い」といったらどういう目に合うか分からない。それに立ち向かう勇気はなかった。

営業の仕事をしていた時も、よく上司から「やる気あるのか!」と言われた。勿論、ありませんと答えて会社をクビになるのもバカらしい。

 

とすると、「やる気」というのはその前提に立つものがある方が出るというものかなと思う。

 

記事ではそれが「好奇心」という事になる。

確かに自分もやりたい事が見つけて、それに向かう事が出来たらよかったかもしれない。親としてはそれが学力というか学歴というか、ステイタスの高いものだったらよかったのだろうと勝手に思う。

子供の頃の好奇心と言えば、野球だったりというのは他の子どもと同じだが、今思えば歴史というものも好きだったのだろうと思う。特に母方の実家が神奈川だったので、よく江ノ島に行った。江ノ電という電車に「腰越」という駅がある。義経が鎌倉入りを拒まれ、頼朝にあてた「腰越状」の場所である。

頼朝と義経のすれ違いは大河ドラマをはじめ様々な視点から描かれている。中でも2005年の「義経」で中井貴一演じる頼朝が「九郎よ、なぜわからぬ…」と涙するシーンは、これから武家社会を作ろうとする頼朝にとっては、官位をもらって公家の良いように使われているように見える義経がもどかしく思えたのではないだろうかと思いを馳せるシーンであった。

 

徐々に歴史を学ぶにつれ、そういう事が砂に水を撒くように地面に吸収されていく思いをするようになった。それ様々な時代についてあるわけで、そういう意味では歴史を学び、研究するとかいう人生もあったかもしれない。

 

しかしそれが仕事につながるかと言えばそうでもない。

 

ただ、好奇心を育むことは生き生きとした人生の足掛かりになるかと思う。

やはり、親の役目としてそこを無視してはいけないのだろう。自分の人生を振り返っても、好奇心より学力・学歴とされた人間だからこそそう思う。