卑屈という名の心の窓から見ると | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

 

「神様っているのかな?」

いつもそんな風に思っていた。

なぜ自分ばかりにこんな試練を与えるのだろう。

何か悪いことしたかな。

そんな事ばかり考えていた。

 

人間関係だって人を信じて裏切られ、というより見返りを求めてばかりいたのかもしれないけど。

それに「あいつに任せておけば大丈夫」という押し付けで面倒なことをしたり、それでも組織の為と思って我慢してきた。

ヘルパーの事業者連絡会でも面倒なことは全部押し付けられた。それでも耐えて頑張ってきた。

 

結果、何も残らなかった。

そんなこんなで自分は一匹狼になった。

 

今も他人を見れば自分を利用しにかかってくるんだろうな、と心のどこかで思っている。

 

高齢者でもそんな人はいる。

介護サービスを行うにあたっても、自分にメリットが無いと思えば刺々しくなる。例えばリハビリ。自分が求めていない事を無理やりやらされていると思った時に、自分を利用して金儲けしやがって、と思う人はいる。

 

記事の内容、確かに正論だと思う。

でも、そうした事が体感できない人もいる。

 

人が必要とされることは人にとって便利屋になれという事かと思ってしまう。

 

別に人を見れば泥棒と思えとは思わない。

しかし自分はどうにか「損」をしないように他人を利用するやつは沢山いる。そうして押し付けられて、自分が嫌な思いをし続けても「人の役に立っている」と喜べるだろうか。

 

こういう私も人に囲まれている。仲間がいる。

そういう実態があっても、記事の内容が綺麗事に聞こえてしまう心の卑屈さがある。