歴史の荒波、武田勝頼に思う | ケアマネ時々卓球、時々その他

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今年の大河ドラマ「どうする家康」

今までの家康像と違い、前半はちょっとだらしない弱弱しい家康が色々な問題にもがきながら、強がりながら何とか切り抜けていく。

 

そこで最近ちょいちょい取り上げる武田勝頼。

 

今回は眞栄田郷敦(まえだごうどん)が演じる。父親は私の大好きな故千葉真一。

 

今回の勝頼は「デキルやつ」としての印象が強い。

最初登場した時から武術に優れ、父武田信玄が落とせなかった高天神城を攻略するなど、この時期が最高潮。

ところが長篠設楽原の戦い(1575年)で敗れ坂道を転げ下るように衰退の道をたどり、最後は討ち取られる。(1582年)

 

この長篠設楽原の戦いから亡くなるまで実に7年間である。

 

その間、御館の乱や甲相同盟の破棄など外交面で苦境に立たされる。最後は離反者も続出して滅亡する。

 

父武田信玄は甲相駿三国同盟があり、今川義元亡き後は甲相同盟を結び、簡単に侵攻させない環境を作った。勝頼も上杉氏との同盟を結ぶまでは出来たが、北条側が織田・徳川と同盟を結び武田包囲網を構築。

 

やはり一武将として武勇に優れていても、外交が勝ったという事だろう。

 

どこで道を間違えたのか。

父親と何が違ったのか。

 

様々な「何故?」が頭をよぎった事だろうと思う。

 

今回の勝頼の最後。様々な思いはあろうが心を奮い立たせ、家臣の礼を言い、戦場で華々しく討ち取られた。

 

2016年の「真田丸」。「何故?」の思いを噛み締め、武田氏を滅ぼすことになってしまった申し訳なさを胸に父信玄の亡霊の前で自刃した。


勇敢な武将としての勝頼

人間味あふれる勝頼

 

好みは分かれるだろうが、今までとは違う解釈で歴史上の人物が再評価されるのは良い事だと思う。