「なぜ勉強するのか?」という純粋な問いを投げかけられた時にどう答えるだろうか?
一番簡単なのは、「そりゃ、大人になってからお前バカだな、と言われたくないからだよ。」と答えること。
やはり人の信頼を得るためには頼りがいのない、信用できない人というのは難しい。でもそれは大人になってからでないと実感出来ないものなのかもしれない。
戦前教育をすべて美化するわけではないが、戦前には「教育勅語」というものがあった。
明治23年に国民道徳の基本と教育の根本理念を明示するために発布された。
原文はネットなどで見ることが出来るので割愛するが、そこに何が書かれているのかといえば、以下の12の徳目が書かれている。
1【孝行】……親孝行をしましょう。
2【友愛】……兄弟、姉妹は仲良くしましょう。
3【夫婦の和】……夫婦は仲良くしましょう。
4【朋友の信】……友達は互いに信じあって付き合いましょう。
5【謙遜】……言動を慎みましょう。
6【博愛】……広く、すべての人に愛の手を差し伸べましょう。
7【修学習業】……勉学に励み、手に職をつけましょう。
8【智能啓発】……智徳を養い、自分の才能を伸ばすことに努めましょう。
9【徳器成就】……人格の向上に努めましょう。
10【公益世務】……世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう。
11【遵法】……法律や規則を守り、社会の秩序を守りましょう。
12【義勇】……正しい勇気をもって、国のために真心を尽くしましょう。
一応、バックボーンを記しておく。
日本は幕末、ペリー来航により西洋列強のすさまじさを目の当たりにした。特にアジアの大国である清がアヘン戦争で大敗したこと、植民地化された地域の惨状は当時のインテリジェンスは理解していたことと思う。
そして明治維新。日本は文明開化の象徴として鹿鳴館時代を迎える。
明治22年に大日本帝国憲法が施行され、日本が近代国家としての体裁を急速に整えていった時期、洋学が重んじられ、我が国伝統の倫理道徳に関する教育が軽視される傾向にあった。
そこで発布されたのが教育勅語である。
しかし第2次世界大戦時には神聖化され、国家総動員法を正当化するために利用された。
戦後、教育勅語こそ国家神道のバイブルと危険視したGHQにより廃止させられる。
現在でも教育勅語は「価値観の押し付け」とか「命をささげるのか」とかいう論で反対する人も多い。
それで皮肉で笑ってしまったのが倉山満先生の「逆教育勅語」(倉山先生、バンザイ!)
1【孝行】……親に孝養をつくしてはいけません。家庭内暴力をどんどんしましょう。
2【友愛】……兄弟・姉妹は仲良くしてはいけません。兄弟姉妹は他人の始まりです。
3【夫婦の和】……夫婦は仲良くしてはいけません。じゃんじゃん浮気しましょう。
4【朋友の信】……友だちを信じて付き合ってはいけません。人を見たら泥棒と思いましょう。
5【謙遜】……自分の言動を慎しんではいけません。嘘でも何でも言った者勝ちです。
6【博愛】……広く全ての人に愛の手をさしのべてはいけません。わが身が第一です。
7【修学習業】……職業を身につけてはいけません。いざとなれば生活保護があります。
8【智能啓発】……知識を養い才能を伸ばしてはいけません。大事なのはゆとりです。
9【徳器成就】……人格の向上につとめてはいけません。何をしても「個性」と言えば許されます。
10【公益世務】……社会のためになる仕事に励んではいけません。自分さえ良ければ良いのです。
11【遵法】……法律や規則を守り社会の秩序に従ってはいけません。自由気ままが一番です。
12【義勇】……勇気をもって国のため真心を尽くしてはいけません。国家は打倒するものです。
ああ、なんか今の日本の姿そのままだ。
世の中きれいごとでは済まないけれど、こんな連中が跋扈する世の中を生き抜くのは大変だなと思う。