先日、サッカーの日本VSオーストラリアの試合を見た。
別にサッカーが好きなわけではないので普段はまず見ないのだが、ほかに見るものもなくなんとなく見ていた。
しかし、だ。
何とも荒れた試合で、イエローカードはバンバン出るは、日本がフリーキックをける前に試合終了とか、訳の分からないものでPKになるはで泥試合というか変な試合だったと素人の私の感想である。
あの主審は今回だけでなく、以前からイエローカードを頻発していたという。
日本にしてみれば勝った試合をドローにされた、オーストラリアにしてみれば負けた試合をドローに持ち込んだ、というところか。
スポーツでは審判のジャッジは絶対である。これは原則にしなければならない。それに、審判の判定に関する異議、抗議は一切認めないという。
ただ、これは審判の性善説に成り立つ理論である。
この審判は何をしたかったのであろうか。
ただ、大げさに笛を吹き、カードを出すことで存在を示そうとしていたのか、と思ってもしまう。
似たようなことは介護の実地指導でも起こる。
保険者や都道府県は、「しっかり指導してますよ。」とアピールするために粗探しをする。
とにかく、指導・勧告・返戻など、事業者に文句を言えるものを見つけるまで時間を延長してでも探す。
中にはローカルルールで都道府県と保険者の言うことが違い、多額の返還を迫られることもある。
つまり、裁く側の暴挙で迷惑することが様々な場面で目立つ。
やはり、裁く側も裁かれるべき。対等な関係を持ってこそのジャッジである。
審判の判定は絶対だが、間違いはある。間違いを絶対との理由で改めないのは違う問題を生む可能性もあるだろう。
審判も人間である。介護の実地指導する側も人間である。
下らない虚栄心や手柄を求めるのではなく、人として公正な判断をしてもらいたいと思う。