三島由紀夫氏41歳のときのインタビューをYOU TUBEで見る。
「終戦の風景とは
終戦の時、終戦の詔勅を親戚の家で聞きました。都内から離れたところに家族が疎開していて、終戦の詔勅自体については不思議な感動を通り越した空白感しかありませんでした。今までの自分の生きてきた世界がどこに向かって変わっていくのか、それが不思議でたまらなかった。戦争に負けたらこの世界が崩壊するはずであるのにまだ周りの木々が濃い夏の光を浴びている。それを普通の家庭の中で見たので周りの家族の顔もあり、ちゃぶ台もあり日常生活がある。それが不思議でならなかった。しかしアカデミズムの若い学者たちはこれから自分たちの時代が来るんだ、新しい知的再建の時代が始まるんだ、言わば誇張して言えば欣喜雀躍(きんきじゃくやく)という様子でした。私の半生の中で20歳までの20年は軍部の一部の極端な勢力があそこまで破滅的な敗北へ持っていってしまった。その後の20年は一見太平無事な時代が続いているようですが、これは日本の工業化のおかげであり、精神的には何ら知的債権に値するものではなかったのではないか。ちょうど昭和40年。41歳の私は20歳のときに迎えた終戦を自分の人生の目途として、そこから自分の人生がどういう展開をしたかを考えるひとつの目途になっている。これからも何度もあの8月15日の夏の木々を照らしていた激しい日光、その時点を境に一つも変わらなかった日光は私の心の中に続いていくだろう。
現代の死とは
リルケが書いているが、現代人はドラマチックな死が出来なくなった。病室の一室でひとつの細胞の中の蜂が死ぬように死んでいく。現代の死は、病気にしろ交通事故にしろ何らのドラマが無い。英雄的な死というものも無い時代に我々は生きている。思い出しますのは18世紀ごろに書かれた「葉隠(はがくれ)」という本で「武士道とは死ぬ事を見つけたり」というので有名な本ですが、この時代も今と似ていた。もう戦国の夢は覚めて武士は武道の鍛錬をするが戦場の華々しい死は無くなった。その中で汚職もあれば社用族もあり、今で言えばアイビー族みたいなものも侍の間に出てきた時代でした。その中で葉隠の著者は武士というものは一か八かという場面では死ぬ方を先に選ばなければいけないと口を酸っぱくして説きましたけれど著者自身は長生きして畳の上で死ぬのであります。武士であっても結局死ぬチャンスをつかめないで死を心の中に描きながら生きていった。それを考えると今の青年にはスリルを求める事もある。いつ死ぬかという恐怖も無いではないが、死が生の前提になっているという緊張した状態には無い。仕事をやっているときに生の倦怠というか、人間が自分のためだけに生きるのに卑しいものを感じるのは当然だと思う。人間の生命というものは不思議なもので、自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬほど人間は強くない。人間は理想なり何かのためという事を考えているので、自分のためだけに生きる事にはすぐ飽きてしまう。すると死ぬのも何かのためにということが必ず出てくる、それが昔言われた大義というものです。大儀のために死ぬということが人間のもっとも華々しい英雄的な立派な死に方と考えられてきたが、今は大儀が無い。民主主義の政治形態は大儀がいらないので当然ですが、それでも心の中に自分を超える価値が認められなければ生きている事すら無意味だという心理状態が無いわけではない。
自分の死について
自分にかえって考えてみますと、死をいつか来るんだ、それも遠くない将来に来ると(戦争の時)考えていた時の心理状態は今に比べて幸福だった。不思議な事ですが記憶の中で美しく見えるだけでなく、人間はそういう時に妙に幸福になる。今我々が求めている幸福は生きる幸福であり、生きる幸福とは家庭の幸福でありレジャーの幸福であり楽しみでしょうが、しかし自分が死ぬと決まっている人間の幸福は今は無い。そういうことを考えて死というものをお前は恐れないかと聞かれれば、それは私は病気になれば死を恐れます。がんになるのも嫌で考えるのも恐ろしい。それだけにもっと名誉のある、何かのためになる死に方をしたいと思いながらも、結局葉隠の著者のように生まれてきた時代が悪くて、一生そういうことを思い暮らしながら畳の上で死ぬ事になるだろうと思います。」